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中野電車区事故の教訓 鉄道施設公開イベントで何を学ぶか?

ITmedia ビジネスオンライン 9/16(金) 7:24配信

 教師役で知られる大御所俳優が随筆で「子どもにクルマを蹴らせる」という話を書いていた。クルマは便利だけど、ぶつかったら痛いしケガをする。当たったら死ぬかもしれない。だから「やっつけちゃえ」と言って、子どもに「駐車中のクルマを蹴りなさい」と命じる話だ。

【JR東労組東京地方本部がWebサイトで公開している組合員向けニュース】

 クルマの持ち主には申しわけないと思いつつ、クルマは危ないと認識させる。ボディを蹴ったら傷がついてしまうからタイヤを指定するそうで、俳優さんの人柄を感じさせる。オススメしたい本だけど、ずいぶん昔の話で書名を覚えていない。

 クルマは便利だ。ドライブは楽しい。そう思う前に「本質的には危険なもの」と知っておく必要がある。特に子どもは興味があれば本能的に飛び出してしまう。これはクルマだけではない。包丁、ハサミなどの刃物はもちろん、高層階の窓やベランダもしかり。精神的な意味ではインターネットもそうだ。

 私のようなマイコン世代は新しい技術が誕生するたびに、さまざまなトラブルを経験してきた。それがインターネットに対する自制心につながっている。しかし、物心が付いたときから当たり前に「便利」を経験してしまうと「危険」を学ぶ機会を失う。

 鉄道も本質的には危険な道具である。その危険を克服し安全な交通手段にするために、鉄道に携わる人々は事故から教訓を得て、対策を講じた。現在の鉄道が安全な乗りものになった理由は、事故と対策を繰り返した歴史のたまものだ。しかし、現在も鉄道が危険な道具であることに変わりはなく、鉄道員も利用者も油断してはいけない。

●中野電車区事故が2カ月後に報じられた理由

 2015年11月23日。JR東日本の中野電車区(車両基地)で見過ごせない危険事案があった。子どもが電車の運転士を体験するイベントで、誤ってハンドルを操作したところ「最大加速」となり、電車が動き出してしまった。添乗していた職員が瞬時に対応しブレーキをかけて停止した。幸いにもけが人はなかった。

 この事案は2016年1月27日に産経新聞が報じている。これは共同通信の配信を受けて追加取材した上で書かれた。記事によると、電車は車輪とレールの間に噛ませていた「手歯止」、自動車で言う「輪留め」を引きずり約30センチ動き、線路端の車止めの約9メートル手前で停止した。電車区の留置線にはATS(自動列車停止装置)はなく、ブレーキをかけるタイミングが遅ければ車止めに衝突する怖れもあったという。

 この記事はJR東日本の公式発表によって書かれた記事ではない。共同通信のスクープが元になっている。ネットでは、11月の事案が2カ月後に報じられたというタイミングに「なぜ今ごろ」という声もあった。このタイミングには理由がある。本件について、2015年12月16日付けで労働組合からJR東日本東京支社へ「要請書」が提出された。内容は中野電車区の事案を重大な事態と指摘し「お客さまに楽しんでもらう」という価値判断で「業務上ありえないことが行われた」としている。

 この文書の内容について、共同通信社がウラをとって配信した。それが1月だった。これを受信した産経新聞がJR東日本に問い合わせ、識者の意見を添えて記事にした。これが2カ月のタイムラグの真相である。

●「要請書」が示す恐るべき危険

 産経新聞の記事を読むと「子どもがうっかりノッチ(アクセル)を操作したけれど、職員の機転で事なきを得た」で済んだように見える。しかし要請書は詳細に危険を指摘している。

 このイベントは運転室を見学させるだけではなかった。「ブレーキ音を聞かせたかった」と、車止めまで8メートルしかない中でブレーキを緩め、ノッチを投入させていた。つまり、3歳くらいの子どもはうっかりノッチに触れたのではない。ノッチの角度に勢いが付いてしまっただけだ。職員側に「電車を動かそうという意思」はあったと読める。

 ただしこの記述は曖昧だ。聞かせたかった「ブレーキ音」は、車輪を止めるための「キー」という音だっただろうか。私は少し善意に解釈して、「ブレーキ操作に使う圧縮空気が抜ける音」つまり「プシュー」という音を意図していたと考える。そうでないと手歯止を使った理由が説明できない。しかしパンタグラフを上げて通電していたという状況もある。動かすつもりがあったか、なかったか。要請書は通電させ、電車が動く状態にしていたことが問題だと指摘している。

 車庫で電車を動かすというイベント自体は違法ではない。営業しない線路を使った運転体験は、いくつもの鉄道会社が実施している。車両基地公開で最も人気なイベントの1つだ。それは徹底した安全管理が前提である。安全管理を徹底するために、運転体験用の線路と営業用の線路を分離している会社もある。もちろん、動く電車のそばには近寄れない。

 中野電車区の事案で問題になるところは、手歯止をかけた電車でノッチを入れたこと。手歯止はうっかりブレーキをかけ忘れたときの移動防止用であって、動力を使って動いた電車まで止める機能はない。今回は引きずった(押し出した)だけで済んだけれど、もし手歯止に車輪が乗り上げてしまったら、子どもたちがたくさん電車を取り囲んでいる中で、電車が脱線し傾く怖れもあった。

 さらに恐ろしいことに、こんな一文もある。

 「子供が車両の下に潜っていた」等、問題も指摘されています。

 子どもたちも保護者も、車庫に留置され、見学に使われている電車が動くなどとは思っていない。今回の電車の移動距離は約35センチだったという。もし、子どもが「車輪って大きいな、ブレーキってどれだろう」と観察し、レールに腰掛けていたらどうなったか。轢断(れきだん)されていただろう。うっかり電車が動いたどころの話ではない。これは死傷者が出かねない事案だった。

●危険を学ぶ場として開催してほしい

 要望書は「体制に問題がある自己啓発活動によるイベントについては中止」「年末年始輸送を安全輸送に徹し、本来業務に集中するため、現場への指導を強く要請します」と結んでいる。これを受けて今年の中野電車区イベントが実施されるか否かはまだ分かっていない。

 たしかに体制に不備のあるイベントは良くない。しかし、鉄道ファンの立場で申し上げると、ここで「やめる」という判断をしてほしくない。大好きな鉄道を間近に見学し、鉄道職員の仕事を理解し、鉄道職員と交流できる機会だからだ。それは小さいお友だちにとっても大きなお友だちにとっても同じだ。「危険な事案が発生したからやめる」ではなく「危険を教訓に対策した上で続ける」。それが人類史上200年にわたって続いている鉄道のあり方であろう。最も安全な方法は何もしないことだけど、何もしなければ進歩はない。

 1994年から官民一体となって「鉄道の日イベント」が開催された。さらに2000年ごろから始まった鉄道趣味の盛り上がりもあって、鉄道会社の車両基地公開イベントなどは急増した。市民が鉄道に親しむ良い機会である。

 しかし、来場者数という成績を重視するあまり、縁日や夏祭りの延長のような催し物も見受けられる。その結果として、来場者にとって「実物の電車がある遊園地」といったとらえ方が大勢を占めていないだろうか。その警鐘という意味で、幸いにも死傷者が出なかった中野電車区事故は良い教訓になった。

 もちろん楽しいイベントで構わない。鉄道に関する知識欲を満たす場でも良い。しかし、車両基地は遊園地でもなければ公園でもない。ちょっとした気の緩みで転んだりケガをする場所である。なぜ職員の皆さんが普段ヘルメットを被っているか。その意味についても理解を深めてもらう場にすべきである。

●防災、避難時に役立つ知識を得る機会に

 鉄道施設は本来は危険な場所だ。しかし、機会があれば車両基地公開イベントに出掛けてほしい。そこで実物の車両を見て興奮する気持ちも分かる。私もそうだ。一方で、来場者の皆さんにいくつか試してほしいことがある。

 例えば、線路の砂利の上を歩いてみる。とても歩きにくいはずだ。枕木を踏んで歩くほうがラクだと気付く。レールも意外と高さがあって躓(つまづ)きやすいし、枕木とレールの境目も突起がある。もちろん転べば痛い。最近は枕木のような平べったい板ではなく、フローティング・ラダー軌道といって、鉄パイプで軌間を保持する線路もある。このような線路の仕組みや歩き方を経験しておくと、災害時の避難で、やむを得ず線路の上を移動するときの心構えができる。線路上ではベビーカーを使えない。お母さま方、抱っこひもは携帯されていらっしゃるか。

 電車はどうだろう。ホームから上に見える車体はのっぺりとして、身体を傷つける要素は少ない。しかし、地上から乗降扉までは意外と高い。それを知っていれば、電車の中から外へ飛び降りて避難しようなどと思わないだろう。電車の車輪や、床下機器は角が立っている。潜り込めば服や肌が引っかかり、ケガをする。そもそも鉄製だから、ぶつかっただけでも痛い。鉄道が本来は危険な道具であり、扱いを間違えると生死にかかわる。

 プラットホームでスマホ歩きをする人、黄色い線を越えて三脚を置くような不届き者、警報が鳴っているにもかかわらず踏切を突破する人やドライバーは、鉄道が本来持っている危険を理解できていない。

 たしかに鉄道は安全、安心な乗りものだ。しかし誰でも無条件に安全を保証してくれるものではない。鉄道を安心して利用できる。そこには、安全にかかわる多くの職員の努力がある。

 最も危険な人は、危険そのものを理解していない人である。普段乗客が触れない部分は、本質的に危険な場所だ。その危険を学ぶことは重要である。そのためにも鉄道施設公開イベントを実施し「鉄道がいかに安全に取り組んでいるか。安全は常に意識して保つものだ」と学ぶ場になってほしい。

(杉山淳一)

最終更新:9/16(金) 7:24

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