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【みちのく会社訪問】ツバサ広業(秋田市) 戦没者名簿を出版、遺族に寄贈

産経新聞 9月16日(金)7時55分配信

 創業者の舛谷健夫(ますやたけお)さんが先月21日に90歳で亡くなった。平成14年に後を継いだ2代目の政雄社長(58)が出棺のときのエピソードを語る。70歳を少し超えた霊柩車(れいきゅうしゃ)の運転手が「舛谷健夫さんを斎場にお運びする仕事を何かの縁で任され、大変うれしく思います」と話し始めたというのだ。

 健夫さんはかつて海軍軍人で、長崎県の特攻艇の部隊で終戦を迎えた。「生き残った者の義務」として昭和48年、秋田県の全戦没者約3万8千人の名前や所属、死亡年月日、死亡場所などを記した名簿を会社の事業として出版し、遺族に寄贈することを決定。57年にかけて市・郡別に10冊を順次市販し、遺族約1万5千人には慰霊祭を開いて無料で手渡した。

 霊柩車の運転手は終戦のとき生後6カ月で、父が戦死した場所も日時も知らなかったが、その名簿で初めて分かったのだという。「御社の前を通るときはいつも心の中で手を合わせていました」。運転手はそう感謝したという。

 ◆本業は宣伝グッズ販売

 本業は、街で見掛ける「交通安全」「火の用心」といったのぼりや横断幕、「ミス○○」のたすきなど宣伝・広報に使うグッズや、校旗、優勝旗、祭りのはんてんなどの製造・販売だ。

 経営に余裕があったわけではない。戦没者の名簿を作って、ただで配るという事業の発表に社内は動揺し、辞めていく人も出た。だが健夫さんは調査や編集のために新たに5人の社員を雇い、突き進んだ。

 妻のヤスヱさん(84)は先行きを心配してノイローゼになってしまった。健夫さんは医者に連れて行かず、遺族の調査に同行させた。特攻隊員の遺書や遺品に触れたヤスヱさんは「この人たちの記録は1千年も2千年も残してやりましょう」と語り、心の病は癒えたという。

 健夫さんはその後も、秋田市川尻総社町の総社神社に「特別攻撃隊忠魂之碑」を建て、秋田県出身特攻戦死者56人の名を刻むなど戦没者の慰霊・顕彰に力を注いだ。

 ◆2代目社長が方針継承

 健夫さんの講演録によると、税務署の調査官から「営利企業なのになぜこんなことをするのか」と聞かれ、こう答えたという。

 「わが社は、敗戦で失われた日本の独立を回復するために働いているのです。もうけるのは手段に過ぎません。実利を図って大義に投ず、なんです」

 そうした方針はしっかり受け継がれている。特攻隊忠魂之碑の前で毎年4月29日に行われている慰霊祭は途中から政雄社長が中心となり、今年で25回目を迎えた。

 北朝鮮による拉致被害者を救出するため平成17年に「救う会秋田」ができると、政雄社長は幹事に就任した。ブルーののぼりやたすきは会社が提供したものだ。

 政雄社長は今後の経営についてこう語る。「企業も日本という国や秋田県という地域に属しているわけですから、国や地域のためになることをしなければなりません。その後ろ姿を次の世代の人たちに見てほしいですね」(渡辺浩)

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 【取材後記】愛国的な実業家といえば出光興産の創業者、出光佐三氏(1885~1981年)を思い起こすが、全国のガソリンスタンドに掲揚されていた日の丸は、今ではほとんど見掛けなくなった。ほかにも、名前は書けないけれど、2代目になって駄目になった愛国企業はたくさんある。そんな中で、舛谷健夫さんの情熱が政雄社長に受け継がれているツバサ広業の存在は頼もしい限りだ。

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 ■企業データ 秋田市八橋南2の10の31(電)018・862・4495。昭和32年に広告代理店「広告の世界社」として今の秋田市中通で創業。「ますやプロダクション」を経て38年に現社名で設立。旗、横断幕、たれ幕、のぼり、紅白幕、のれん、はんてん、たすき、ゼッケンなどの製造・販売やストーブ修理を手掛ける。資本金1700万円。従業員4人。売上高約7千万円(平成28年5月期)。

最終更新:9月16日(金)7時55分

産経新聞