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熊本市の避難所「ゼロ」に 本震から5ヵ月 避難所の最後の1日を追った

西日本新聞 9月16日(金)11時55分配信

 熊本地震の避難所のうち熊本市内で唯一残っていた中央区出水の市総合体育館・青年会館が15日、閉鎖された。4月16日の本震から5カ月を前に、30世帯の44人は新たな住まいへ移った。「生活再建の第一歩」と前を向く人、「先行きが見えない」と不安にさいなまれる人。さまざまな思いが交錯する避難所の最後の1日を追った。

 午前8時前、ロビーに朗らかな声が響いた。「皆さんがいる安心感で天国のごたったです」。声の主の女性(74)が、顔なじみたちの手を握り締めて別れを惜しんだ。明るかった声が言葉を重ねるにつれて湿る。「つらいこともあったけど、支え合えたからやってこれた。ありがとね」。5カ月の間にこけた頬を涙がつたった。

こわばった心と体をほぐしてくれたのは「人」だった

 振り返ると、本震後は「地獄」だった。中央区の自宅が傾き、夫(84)とたどり着いた体育館は知らない人ばかり。標準値だった血圧は一時、180を超えた。

 こわばった心と体をほぐしてくれたのは「人」だった。避難所に友人が増えると、血圧も正常に。新居探しも手伝ってもらい、これから入居するみなし仮設住宅は避難所の仲間がいる土地を選んだ。「今からも大変だろうから、助け合いながら暮らしていきます」

 熊本市では小中学校の体育館など267カ所に最大11万人超が避難した。最後の避難所を閉じたのは「被災者の住宅確保のめどがたったため」(市)。住み慣れた土地に戻れない人たちは、気持ちの整理がつかないまま節目の日を迎えた。

熊本県内ではなお12カ所の避難所に428人が身を寄せている

 4歳から住んでいた市営住宅が被災した男性(52)にとって、自宅から約8キロ離れた団地への転居には覚悟が必要だった。同居する母(75)の健康問題もあり、自宅の周辺で入居先を探し続けた。結局、条件に合う物件は見つからなかった。「新しい生活になじむしかない」。言葉少なに片付けを続けた。

 「狭いとこに住んどっても荷物は増えるな」。男性(76)は両手に食料や衣類を抱え、体育館とワゴン車を5往復した。東区の自宅は大規模半壊、仮設住宅に移る。「もう住めんと分かって気持ちにけりがついたら、目標がでけた」。目標、それはもう一度、家を建てること。

 「小さくてもいいけん、家を建てたい。年寄りにはいらんかもしれんけど、地震に負けられんけん」。そう言うと、勢いよく車のエンジンをかけた。再出発の号砲のようだった。

 熊本県内ではなお、8市町村12カ所の避難所に428人が身を寄せている。

=2016/09/16付 西日本新聞朝刊=

西日本新聞社

最終更新:9月16日(金)11時55分

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