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[インタビュー]こんにちは、私はファン・ダルレです

ハンギョレ新聞 9月16日(金)7時32分配信

養子に出された米国人、タミー・ウェブスターの初めての母国訪問

38年前に捨てられた福祉院や教会を訪ね 
捨てられていた自分を見つけた執事との劇的な出会いに涙 
実の両親には会えなかったが、言いたいこと 
「悲しかった。でも今は理解する。謝らないで」

 「ごめんなさい。1978.5.4」

 生年月日が書かれた1枚のメモ。米国名タミー・ウェブスター、韓国名ファン・ダルレさん(38)の出生記録は、38年前にソウル市広壮(クァンジャン)洞の九宜(クイ)教会の前に誰かが置いていったおくるみの中から見つかったこのメモがすべてだ。発見直後に養子縁組の書類作成のために撮った証明写真と、米国行きの飛行機のなかで撮影した写真が、彼女が実の親を探しに韓国に持ってきた唯一の手がかりだ。ファンさんは生まれた翌日に捨てられた。当時の養子縁組の書類には「ソウル市広壮洞九宜教会の前で発見され、保育施設で臨時保護し、養子に送る」という趣旨の簡単な記録だけが残っている。

 6日午後、自分が発見された九宜教会を訪ねたファンさんは、対話中の通訳士と教会の執事の顔を交互にじっと見つめた。この日午前には、養子縁組される前にいたというソウル市内谷(ネゴク)洞のダニエル福祉院(旧ダニエル学院)を訪れたが、何も得るものはなかった。教会でも実の家族の他の痕跡を見つけられなければ、もう希望がない。残された方法は自分の遺伝子記録を残しておき、同じ遺伝子情報を持つ誰かが現れるのを待つことだけだ。ファンさんに会った教会の執事は「当時の教会関係者らに連絡を取ってみたが、覚えている方はいない」と申し訳なさそうに言った。頭を下げたファンさんは、韓国語で「カムサハムニダ(ありがとうございます)」と言った。

 養子縁組の書類を頼りに手がかりを探すにはあまりに長い時間がたっていた。約40年前に教会の向かい側にあったという保育園は移転し、ファンさんが発見された教会も元の場所にはマンションが建ち、現在の場所に移り新築されていた。「もっと早く探し始めていたら…」ファンさんの顔に口惜しさがかすめた。

 米国の家庭に養子に送られ、5人兄妹の末っ子として育てられた彼女は、何不自由なく育った。幸い、人種差別や養子だということで味わう悲しさも特に感じたこともなかった。現在は公務員として働いており、結婚して3歳の娘と幸せに暮らしている。「年を取るほど実の親が知りたくなりました。私の名前ダルレの『レ』を取って娘の名前をエミーレとつけました。子どもを産んでから、かわいいこの子を実の親に見せたいと切実に思うようになりました」

 初めての故国訪問で実の親をすぐに探し出せるとは期待しなかったが、しばらくは離れがたかった。名残惜しさに教会を発つことができずぐずぐずしていると、教会の執事が良いニュースを伝えた。「もしやと思って連絡した執事が、その年に一人の子どもを拾ったということです。いまこっちに来るそうですよ」。通訳者の話を聞いたファンさんの目はみるみる赤くなった。手で口を覆い、大きく見開いた目からぽろぽろと涙があふれた。通訳を務めたイ・ジュンソクさん(21)は飛び上がるほど喜んだ。

 1時間ほど待っただろうか。サイクルウェアを着たファン・ミョンウク執事(69)が息を切らして現われた。電話を受けて急いで来たというファン執事は、ダルレさんの養子縁組当時の写真を見て、「見たことのある顔だ」と言い、子どもを見つけた当時の状況を説明した。「私は当時、教会の向かい側のダニエル学院の教師でした。ダニエル学院には保育園、病院、学校の3棟の建物があった。その日、朝の運動をしに出て、保育園の建物の前のポプラの木の下で捨てられた赤ちゃんを見つけたんだ。メモがあって、ごめんなさいという言葉が書かれていた。「ジスク」と名前が書かれていたようだが…これは確かではないね。とにかく保育園で預かっている間はみなジスクと呼んでいた。こうして会えるなんてとても嬉しいよ。本当に感謝している」

 ファンさんが自分が発見されたところに行ってみたいと言うと、ファン執事は歩いて10分くらいだと言い、快く応じた。今ではマンションが隙間なく立ち並んだ場所に到着すると、ファンさんは熱心に写真を撮った後、言葉を失ってしばらく立ちすくんでいた。彼女は「実の親を探すことの方が重要ですが、私を見つけてくれた人に会ったこともとても嬉しいです。やっと自分の人生を生きられそうです。これまで幸せな人生を歩んできたということを、ファン執事にお伝えしたいです」と話した。これからも連絡し合おうと、ファン執事が手帳に英語の名前と連絡先を書き記した。ファンさんは「ファン、ファン…」と言って執事と自分を指差し、自分の姓がなぜファン氏になったのか理解したという表情で、また涙を流した。実際はファン執事の姓をもらったのかもわからないのに、ダルレさんはその「偶然」にひとつでも意味を与えたいようだった。

 「正直、幼い頃は捨てられたことに胸を痛めていました。でも当時は韓国という国は貧しかったから、両親が私と両親のために最善の選択をしたはずだと今は考えています。(実の両親が私に)すまないという気持ちがあるならば、許すと言ってあげたい。ダルレという名前も、養子縁組機関でつけられたので意味はないと思っていたけれど、韓国に来てやっと自分がいた保育園の名前のダニエルからとってダルレとつけたということを知りました。ダルレは白い花という意味なんですってね。とても気に入っています」

 実の家族を探せるようサポートする海外養子連帯「母国への初めての旅(First Trip Home)」のプログラムに参加し、9泊10日間韓国に滞在したファンさんは、9日に韓国を発つ。彼女とともにプログラムに参加した養子18人のうち3人は初めての訪問で家族に会った。ファンさんは「家族に会えた人たちを見て、私も希望を持てた」と話した。

 保健福祉部によると、養子縁組関連の統計が作成され始めた1953年から昨年まで、海外に養子に出された韓国人は合計16万7710人にのぼる。このうち67%の11万2546人が、1970~1980年代の産業化の時期に母国を離れた。海外養子連帯の関係者は「養子縁組記録の生産と保存が総体的に不十分だった1970~1980年代に故国を離れたために家族を探している養子の人々に対する関心と支援が必要だ」とし、「家族と連絡が取れなくても、自分の本当の誕生日と家族歴のような情報でも知りたいと希望する人が多い」と呼びかけた。

キム・ミヨン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)

最終更新:9月16日(金)7時32分

ハンギョレ新聞

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

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昔は街の広場で、現代はYouTubeで。歴史を通じ、公開処刑には必ず人だかりがつきものでした。人が処刑というものを、恐ろしく不快に感じながらも、つい気になって見てしまうのはなぜか。フランシス・ラーソンが人間と公開処刑の歴史、中でも斬首刑に焦点を当てて解説したこのトークは、気分の良い内容ばかりではありませんが、同時に興味をそそること間違いないでしょう。