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甲子園球場「開設1年目」の大騒動 予想外の大観衆と押し問答

夕刊フジ 9月17日(土)16時56分配信

 【高校野球100年 発掘・事件史】甲子園球場が完成したのは1924(大正13)年。その年の8月に第10回の全国中等学校優勝野球大会(現在の夏の甲子園大会)が行われた。以降、この球場は高校野球の聖地となる。

 甲子園球場ができたのは、それまで近くの鳴尾球場で行われていた大会で観客がグラウンドに押し寄せるなど、大観衆を収容できなくなったことが原因と前回に紹介した。

 これで観客トラブルはなくなると大会関係者が安堵した矢先、5万人以上も収容可能という大球場でも騒動は起こった。

 第10回大会の開幕は8月13日。開幕戦は静岡中(現静岡)-北海中(現北海)だった。大会2日目までは内野席は空席があり、外野席はガラガラで寝そべって観戦するファンもいた。大会関係者は「あの大きな外野席が満員になるのには10年はかかるだろう」と囁いていたという。

 だが4日目の同16日。地元の兵庫、大阪の代表が登場したこともあって朝から大観衆が押し寄せ、あっという間に超満員に。慌てた阪神電鉄は当分は必要ないと思っていた「甲子園球場は満員につき入場お断り」という看板を持ち出し、大阪と神戸の駅に掲示した。それでもファンは次々と押し寄せ、球場の周囲では球場関係者との押し問答が起こった。

 甲子園球場は開設1年目から大騒動になり、5年後の29(昭和4)年にアルプススタンドを造り、さらに1万人を収容できるようにして現在に至る。それまで無料で開放していた一般ファンから入場料を取ることにしたのも、甲子園球場での開催になってから。中等野球(高校野球)は、聖地が完成してから大きく変わった。

 ちなみに当時の甲子園球場のグラウンドは現在よりも広大で、特に左中間と右中間が深かった。そのため、24年の“甲子園第1回大会”では20本ものランニング本塁打が生まれている。

最終更新:9月17日(土)16時56分

夕刊フジ