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近江国府跡に平安期祭祀跡 白色土器出土、京都と密接関係

京都新聞 9月17日(土)20時27分配信

 大津市教育委員会はこのほど、同市大江6丁目の近江国府跡で、17枚の土師(はじ)器をまとめて地中に埋めた10~11世紀(平安時代)の祭祀(さいし)跡が見つかった、と発表した。祭祀跡は京都で発掘事例のある水辺の儀式跡に似ているほか、平安京での出土例が多い白色土器も合わせて出土するなど、都との密接なつながりを示す遺構という。
 調査地は、平安時代に近江国の地方行政機関の中心だった「近江国庁」跡から北東約400メートルの地点。祭祀跡は、直径40センチ、深さ15センチの穴の中に、直径約10センチの土師器が17枚、完全な形で重なって埋められていた。何かを燃やした後の炭もあった。
 穴の北約20メートルには川が流れていた跡があり、東隣には掘立柱建物の跡も見つかった。土師器は水辺でのみそぎやはらいなどの祭祀に使った後、穴に埋められたとみられる。
 主に平安京で出土し、祭りや特別なうたげなどで利用された白い素焼きの土器「白色土器」も、三足盤、高杯、碗がそろって出土した。三足盤が県内で見つかるのは初めて。緑釉(りょくゆう)陶器や近江国庁で出土したものと同じ飛雲文様の鬼瓦も確認された。
 川のそばに土師器や炭を埋めた遺構は下鴨神社(京都市左京区)の境内に事例があり、平安京の歴史に詳しい京都産業大の鈴木久男教授は「中央から派遣されてきた役人が、都の儀式を行った可能性が高い」と指摘する。10~11世紀ごろは平安京を中心とする律令(りつりょう)国家が力を失い、近江国庁も衰退していたと見られていたが、鈴木教授は「近江は当時も都と密接な関係を持ち、このエリアは役所としても重要な場所だったと考えられる」としている。

最終更新:9月17日(土)20時27分

京都新聞