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パクる蓮舫、土下座の前原、泣きの玉木…民進党代表選、珍プレー集を一挙公開!

産経新聞 9月17日(土)9時45分配信

 民進党は15日、党代表選の臨時党大会を都内ホテルで開き、新代表に蓮舫代表代行が選出された。党結成から初めての代表選には蓮舫氏のほか、前原誠司元外相、玉木雄一郎国対副委員長も立候補した。13日の選挙戦では野党第一党の存在感を示すべく、3候補ともあの手、この手で自らを猛烈アピールした。だが、中には珍プレーまがいの言動も。混乱の代表選を振り返る。

 今回、新代表に選出された蓮舫氏から始めよう。蓮舫氏は8月5日に立候補を表明し、岡田克也前代表や野田佳彦元首相らの支援を受けて当初から有利な戦いを進めてきた。蓮舫氏は旧民主党政権時代、「仕分けの女王」として名をはせたが、今回の選挙戦では他の候補者の政策をパクり、そしてぶれまくった。

 9月2日の公示日-。20人の推薦人を集めて出馬を表明した蓮舫氏、前原氏、玉木氏そろって日本記者クラブに集まり、共同記者会見に挑んだ。

 まず3候補が選挙戦に臨む意気込みを発表した後、記者から臨時国会で議論が始まる環太平洋経済連携協定(TPP)への対応と、農業政策についての質問が出た。まず蓮舫氏は「政府が出してくるであろうTPP関連法案は、われわれは同じ土俵に立てない」と述べ、これまでの対決姿勢を強調した。前原氏と玉木氏もTPPに反対し、足並みをそろえた。

 農業政策に精通している玉木氏は「農政局単位に使える交付金を出し、地域が何に使うかを地方が選べる交付金にしていくことが大切だ」と述べて、地域の実体に合わせた交付金の使い方を提案した。

 「それ、使わせていただきます」-。間髪入れずパクり宣言したのは蓮舫氏だ。提案した玉木氏もさすがに口あんぐり、前原氏も目が点になっていた。

 その後も蓮舫氏は、日本国籍と父親の出身地の台湾籍を持っている「二重国籍」問題で、自身の発言に関する説明が二転三転。「台湾籍は抜いている」「生まれたときから日本人」「帰化-」と発言がコロコロと変える“珍プレー”を連発した。

 生活保障と税の一体改革「オール・フォー・オール(みんながみんなのために)」を打ち出し、旧民主党の負のイメージを刷新しようとして出馬をしたのが前原氏だ。

 前原氏は9月2日の共同記者会見で、旧民主党政権時代に閣僚や政調会長など党の中枢の一人として、国民の期待に応えられず党に対する信頼を失墜させたとざんげ。その上で、「土下座をする先頭に、私は戦犯であるからこそふさわしいのではないか」と述べ、5秒間、深々と頭を垂れた。前原氏の“土下座”に会場は神妙な空気に包まれた。

 党のベテランからも「前原氏は変わった。代表の器だ」との声が上がった。

 この日から前原氏の「心からのおわび」行脚が始まった。前原氏は街頭演説や公開討論会などで、マイクを握ると自己批判し、5秒間、頭を深々と下げる-。こうしたプレーを繰り出し、全国11カ所を回った。

 15日の臨時党大会の投票前に行われた立候補者の決意表明でも、「心からおわびを申し上げたい」と深々と頭を下げた。だが、党内からは「謝り過ぎはかえってマイナスだ」という意見も多く、会場からはまばらな拍手しかおきなかった。

 当選3回という若さを売りに出馬した玉木氏は当初、熱血漢キャラで売り出していたが、誰が言ったか、ついた異名は「泣きの玉木」。東大法・ハーバード大院卒、財務省(旧大蔵省)勤務という絵に描いたようなエリートだが、ある意味、その殻を完全に打ち破った。

 9月7日、長野市で開かれた民進党代表選の候補者討論会で、前原氏がいつものように旧民主党政権の「失敗」に触れ、深々と頭を下げた。前原氏と同じグループに所属する玉木氏は謝り続ける先輩の姿にいたたまれなくなったのか、「(前原さんには)謝ってほしくない」と泣きながら訴えた。その様子を見た蓮舫代表代行が絶妙なタイミングで「男なら泣くな」と突っ込んだシーンはかなりレベルの高いコントだった。

 討論会で前原氏が国民の期待に応えられなかったと陳謝すると、玉木氏は「羽田空港の国際化も外国人観光客のビザ緩和も前原さんの閣僚としての功績だ」と言葉を詰まらせて号泣。

 この名場面は、新聞やテレビで取り上げられ、街頭演説などの3候補の“鉄板ネタ”となった。

 玉木氏は本当によく泣いた。9月2日の選対本部の事務所開き、最終日の11日で池袋で高校性らに「一番良い演説だ」と声を掛けられ、思わず涙がほろり…。次の代表選では聴衆を泣かせる演説を期待したい。(千田恒弥)

最終更新:9月17日(土)9時45分

産経新聞

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