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天皇陛下の「お気持ち」表明に過激派はどう反応したのか?「天皇は好き」という活動家も登場して…

産経新聞 9月17日(土)18時25分配信

 天皇陛下が「生前退位」の意向を強くにじませるお気持ちを表明されたことを受け、警察当局は極左暴力集団(過激派)の動向を注視している。過激派は天皇制打破を掲げ、過激な「皇室闘争」を展開。執拗(しつよう)なテロやゲリラを仕掛けた経緯があり、ご意向について何らかの反発を示す可能性があるためだ。一方、過激派内でも、「皇室観」が変化する兆しが垣間見えるという。

 ■暴力革命へ「天皇制を打破」

 天皇陛下は8月、象徴の在り方や、公務についてのお気持ちをビデオメッセージで表明された。「生前退位」実現への思いを示し、国民的議論の深まりを望まれた。

 こうした中、警察当局は陛下が示されたご意向に対する過激派の受け止めについて注意深く見守っている。極端な反応は確認されていないが、警察関係者は「過去の歴史を振り返れば、無警戒というわけにはいかない」と強調する。

 警戒感の背景には、過激派が自らの理想を実現するため、殺人もいとわないテロやゲリラによる「暴力革命」を突き進め、その一環として、皇室闘争を繰り広げた歴史がある。

 ■先鋭化した皇室への敵対心

 過激派は昭和30年代初頭、路線対立などから共産党を離脱した活動家らが、暴力による共産主義革命の実現を目指して結集したのが始まりだ。

 内部対立などで離合集散し、各セクトに分裂したが、多くは皇室を「国家権力による支配体制を支える根源」などと見なし、天皇制打破を革命の重要な課題と位置づけてきた。

 40年代には、敵意が本格的な「運動」として徐々に先鋭化していく。

 神武天皇の即位による日本建国を祝う「建国記念の日」が41年に制定されると、「紀元節復活で天皇制を強化しようとしている」などと批判した。

 反皇室を主張する集会やデモが相次いで行われる中で、過激なテロやゲリラが増加。皇居への乱入を試みたり、神社や官公庁、鉄道などの施設が爆弾や火炎瓶で攻撃された。

 天皇、皇后両陛下が皇太子・同妃時代の50年、沖縄県の慰霊碑「ひめゆりの塔」で献花された際、近くに潜伏していた活動家が火炎瓶を投げつけるなど襲撃。間一髪の事態に衝撃が広がった。

 昭和天皇を暗殺する計画が実行直前だったことも判明している。49年、特別列車を狙い、過激派の活動家が荒川鉄橋の爆破を画策。発覚を警戒して中止されたが、この爆薬は同年、400人近くが死傷した無差別テロ「三菱重工ビル爆破事件」に使用された。

 ■過激派自身も感じる「失敗」

 共産主義革命の“旗印”の下、繰り広げられた皇室闘争。ただ、過激派は社会情勢に応じて課題を変化させており、皇室闘争も過激化と沈静化を繰り返した。成田空港の開港を阻止しようとした「成田闘争」が激化した時期には、皇室闘争が相対的に沈静化したこともあった。

 公安関係者は「社会情勢に応じて自らに都合の良い『題目』を掲げ、自派の存在を誇示しようとするのが常套手段。悲惨な結果を招いても、反省することはない。皇室闘争も同じような側面があった」と話す。

 50年以降、皇室闘争をめぐり全国では少なくとも230件のテロやゲリラが確認された。ただ、なりふり構わない攻撃を繰り返したものの、国民の支持を得られることはなかった。警察関係者は「過激派自身も完全な失敗だったと受け止めている」と指摘する。

 ■セクトの大半は「お言葉」を静観

 「皇族の方々が国内外を足しげく訪問され、諸行事を通して皇室が国民に深く親しまれるようになったことへの危機感があった」

 警察関係者は、皇室闘争の発端をこう分析する。だが、闘争で幹部らは次々に摘発され組織も大打撃を受けた。皇室闘争の失敗をきっかけに各セクトは過激な暴力革命路線を転換。環境問題や人権、労働運動などへの取り組みを掲げ、過激性を隠して社会への浸透を図るようになった。

 「天皇制には反対だが、今の天皇は好きだ」。各セクトの関係者には、こうした意見があるという。かつて隆盛した学生運動に初期から参加していたという元活動家は「皇室は確かに日本に深く根ざしている。誰もが無意識のうちにそれを感じていたはずだが、『革命』の命題に引きずられ、行動を誤った」と話す。

 陛下のお言葉をめぐっては、一部のセクトが批判しているが、多くは静観している。反皇室をめぐるテロやゲリラも平成5年を最後に発生していない。ただ、現在も反皇室を主題に運動するセクトやグループがあり、警察当局は今後の情勢を注視している。

最終更新:9月17日(土)18時25分

産経新聞

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