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李登輝氏の訪日に消極的だった福田康夫官房長官を叱った椎名素夫さん

産経新聞 9月17日(土)17時5分配信

 【話の肖像画】元台北駐日経済文化代表処代表・羅福全氏

 〈2000(平成12)~04年、台北駐日経済文化代表処代表を務め、日本の政治家とも交流を深めた〉

 台湾と日本は、台湾の中国国民党政権下で日本の自民党と何十年という深い関係がありましたので、初めて民主進歩党(民進党)政権になり、どう自民党と接するかを考えました。まず、会いに行ったのは日華議員懇談会の山中貞則会長(当時)です。山中会長は最初、「陳水扁なんて知らないよ」と言いましたが、私の日本語には驚いていました。国民党時代の駐日代表は私のようには日本語を話しませんから。私は日本のこともよく知っていましたし、台湾のことも日本語で説明できるので、信頼を深めていきました。

 当時の森喜朗首相のところへも面会に行きます。私の不安に反して森首相は、台湾の与党が民進党になったならば自民党は民進党と付き合うと言ってくれたので、私は安心して“対日外交”に取りかかることができました。私は多くの日本の政治家とお付き合いしましたが、やはり、日本語を話すことに親近感を持ってくれた面もあると思います。日本語ができることの何がいいかというと、建前と本音を話せること。例えば尖閣問題でまず本音を交わし、その後に建前でどうやりましょう、とできるのです。

 ゴルフ政治も学びました。国会で誰かに会っても15分で終わってしまうから本音が話せません。ところがゴルフでは先に質問して、向こうもプレーしながら考えて、2ホール後に答えが出てきます。

 台湾と日本は国交がありませんから、正直当時、外務省は中国を気にして課長さえ会ってくれません。政治家とは本音で付き合うけれど、外務省は建前を守りますからね。

 〈01年、台湾の李登輝元総統の訪日が実現した〉

 私は当時の福田康夫官房長官と、椎名素夫参院議員との密談に参加しました。椎名さんのお父さんは日台断交前、特使として台湾に行き、蒋経国行政院長(首相に相当)と会談した人です。椎名さんは台湾に対する思いが強く、李氏の訪日に消極的だった福田さんを叱責していました。当時の河野洋平外相は反対で、森首相もいろいろと考えていました。私はアメリカの例を調べ、アメリカでは大統領を辞めて6カ月過ぎたら私人とみなされるとして、李氏も一般市民としての訪日であると申し上げました。李氏の訪日がかなったのは、代表時代の大きな仕事でした。

 〈駐日代表を終えてからは、夫婦で台湾に定住し、民間外交を続ける〉

 台湾と中国の関係に対してアメリカや日本の立場はどのようなものかを台湾の人に伝えるため、民間団体の「台湾安保協会」で年1回、国際会議を開いています。台湾と中国の関係は1対1ではなく、アジア全体の平和、安全保障の一環になっていますから。小さな会ですが、私たちができることはどこにあるのかに焦点を絞ってやっています。

 朝はオフィスに着くと欠かさず、台湾、中国、日本、アメリカ、ヨーロッパの新聞に目を通します。例えば南シナ海の記事で、日本の言い分はこうか、フィリピンの言い分はそうか、と。

 今は、食後に居眠りするのが一番幸福な時間(笑)。そして何が幸せかというと、台湾も民主化を実現したことです。世界ではわずか14%の人しか民主国家に暮らしていません。大きな世界の中で、私は幸福な社会にいるわけです。(聞き手 金谷かおり)

最終更新:9月17日(土)17時5分

産経新聞