ここから本文です

「赤ヘル旋風」は再び吹くのか? 広島カープの黄金時代を古葉竹識元監督が振り返った

産経新聞 9月17日(土)19時57分配信

 プロ野球広島が9月10日に25年ぶりのセ・リーグ制覇を果たした。25年という最も長い期間、優勝から遠かったが、1970年代後半から90年代前半にかけて“赤ヘル旋風”と称される黄金時代を築いた。その最中である75年途中から指揮を執り、在任11年間で4度のリーグ優勝、3度の日本一を達成した広島元監督、古葉竹識氏(80)が当時を振り返った。名将が今明かす秘話とは…。

 《古葉氏は熊本・済々黌高を卒業後、専大(中退)、日鉄二瀬を経て1958年、広島に入団した。63年には巨人の長嶋茂雄氏と首位打者争いを展開した(最終的は長嶋氏が首位打者)。64、68年と盗塁王に。70年にトレードで南海(現ソフトバンク)に移籍。71年に現役を引退した》

 --小さいころからプロを目指していた

 「戦後、プロ野球が再開して、巨人の川上哲治さんがスターだった。当時はラジオ放送しかなかったが、一生懸命スコアをつけた。そのくらい好きだった。野球を頑張って大きくなったら、神様のいる巨人に入りたいと強く思っていた」

 --専大を中退し、社会人チームの日鉄二瀬に入った

 「母校の済々黌高に行ったら、日鉄二瀬の濃人渉監督がたまたま学校に来ていた。『プロになりたいので鍛えてください』とお願いすると、『円満に(大学を)辞めるなら取ってやる』と言われ、専大を中退させてもらった。2年後、『広島に行け』と言ってもらえた」

 --14年の現役生活後、南海でコーチに就任した

 「なぜだか分からないが、当時、南海の選手兼任監督だった野村克也さんに『2軍コーチをやれや』と言われ、2年目には1軍コーチになった。そしたら、優勝した」

 --74年、森永勝也監督の就任に伴い、広島へコーチとして戻った

 「野村さんには『俺の気持ちの中では、来年もお前のコーチは決めている。絶対に帰さないぞ』と言われた。でも、最後には『(森永は)気持ちの優しい男で、選手にいろいろと言おうとしない。お前ならあいつの代わりに言える。仕方がないけど帰れ』と言ってくれた。これが、その後の監督就任へとつながった」

 《75年4月、審判への抗議がきっかけでルーツ監督が退団。5月にコーチから監督に昇格し、リーグ初優勝を果たした。在任11年でBクラスになったのは2度しかなかった》

 --監督就任のきっかけは

 「三塁コーチをしていた5月の中日戦で、監督代行だった野崎泰一ヘッドコーチに『全部やってくれ』と言われ、指揮を執った。なぜか分からないが、3連勝できた。終わって広島に帰ったら、オーナーに『お前が監督せい』と言われた」

 --プレッシャーはあった

 「それまで3年間、チームは最下位。今年頑張らないと『辞めろ』と言われる可能性は高い。引き受けた以上は、ファンに喜んでもらえる野球をやって、悔いを残さないようにしようという気持ちがあった」

 --球宴後にチームは首位を奪い返した

 「球宴で山本浩二と衣笠祥雄が2本ずつ本塁打を放った。『後半戦の広島は怖い』という記事が出て、『自分たちが引っ張っていかなければならない』という気持ちをお互いに持ってくれた」

 --最終戦を1試合残した129試合目で優勝が決まった

 「長嶋さんが監督を務めていた巨人との後楽園での試合。最終戦は、広島に帰って中日との直接対決だった。ファンの応援で逆に選手たちが硬くなる可能性があると思ったので、何としても勝ちたかった。よく頑張ってくれた」

 《79、80、84年と日本一に輝き、黄金時代を築いた。監督を辞めた後も、広島は86、91年とリーグ優勝を果たした》

 --ベンチの隅に立っている姿が名物だった

 「監督をしている間、ベンチに座ったことは一度もない。選手の動きを見ていた。動きが遅くて、捕れる球が捕れなかったら、お金を払って見に来ているファンに失礼。監督の責任になる。テレビに体の左右半分だけ映っていたのは、カメラの赤いランプがついて撮られていると分かると、隠れていたから」

 --投手で入団した高橋慶彦氏を遊撃へコンバートした

 「スカウトからは『外野として使える』と言われたが、当時、外野は埋まっていて7、8年は出るチャンスがなかった。だから、遊撃で鍛えようと思った。ノックしたコーチは『とても無理』と言ったが、『とにかく練習をやらせてほしい』と頼んだ。あんなに練習した子はいない」

 --両打ちにも挑戦させた

 「足が速かったから『左でも練習せい』と言った。他に正田耕三、山崎隆造も両打ちにした。正田は2回、首位打者のタイトルを獲得した」

 --盗塁数が多かった

 「俊足の高橋ら若い上位打線が出塁し、山本らベテランの主軸が本塁へ返すパターン。足が速い選手なら単打でも盗塁で二塁に進める。二塁にいれば、安打で本塁へ戻る可能性が高まるので、機動力野球を重視していた」

 --監督を辞めた後も広島は強かった

 「自分が監督をやっているときだけ強いのではなく、5、6年後も優勝のチャンスがあるチーム作りをした。だから、山本には『監督要請があったら、すぐ引き受けた方がいい』と言った」

 --今でも広島に足を運ぶ

 「自宅もそのままにしている。広島に帰ると、当時を思い出しながら、前の本拠地だった広島市民球場の跡地を一周している」

最終更新:9月17日(土)19時57分

産経新聞

スポーツナビ 野球情報

MLB 日本人選手出場試合10月1日(土)