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冲方丁さんの留置場生活「警察の中は治外法権、無法地帯」「笑うべきもの」

弁護士ドットコム 9/17(土) 9:18配信

『天地明察』や『マルドゥック・スクランブル』で知られる作家、冲方丁(うぶかた・とう)さんがこのほど、自身の留置場生活について書いた手記『冲方丁のこち留 こちら渋谷警察署留置場』(以下『こち留』、集英社インターナショナル)を出版した。

冲方さんは昨年8月、東京都内のマンションで、妻を殴ってケガをさせたとして、傷害容疑で逮捕された。人気作家による「DV事件」として、当時大きくメディアで報じられたが、冲方さんは一貫して「身に覚えがない」と主張。9日間の勾留を経て釈放され、同年10月に不起訴処分となった。

『こち留』では、勾留中のことをユーモアと皮肉を交えながら、こと細かく描いている。さながら人気作家による「留置場マニュアル」ともいえる本の中で、冲方さんは、留置場の実態や警察の取り調べを「笑うべきもの」とつづっている。留置場でどんなことを考えたのか、冲方さんに聞いた。

●「長年の慣習にしたがって動く巨大な機械」

−−そもそも、なぜ逮捕されたのでしょうか?

いまだに僕にもわかりません。こちらが聞きたいくらいです。『こち留』にも書きましたが、刑事事件の被疑者は情報を遮断されます。僕に理解できたのは、「逮捕状」が存在したことくらいです。

−−逮捕状はどういう内容だったのでしょうか?

とにかくデタラメで、「現実に起こりうることなら何でも書いていいのか」と思うような内容でした。マンションのエントランスで、管理人や通行人がいる時間帯であるにもかかわらず、妻を素手で殴って、歯を折る・・・。突っ込みどころが山のようにありました。

最初は「警察が適当に作文するわけない。きっと誰かがそういう訴えをしていて、警察としても受理せざるをえない事情があったんだろう」と思ったんですが、あとから、警察独自の価値観と都合で動いていることがわかりました。

とにかく、辻つまがあわない逮捕状の内容に無理やりあわせようとする。自白を引き出して、適合する部分をつなぎあわせて、供述調書をつくろうとする。そんな意図がだんだん透けて見えていきました。

−−警察をどう思ったか?

正直、失望しました。警察は、国民が法的知識を持っていないことをわかったうえで、すきをついてきます。たとえば、弁護士を同伴させなかったり、密室に閉じ込めてから「あなたは逮捕された」と告知したりする。防御手段を持てない状況を合法的につくりだしたうえで、逮捕するわけです。

僕の場合、逮捕されたというよりも、「拉致」された感覚が強くあります。もし、警察が真摯に「こういう事情があって、こういう逮捕状が出ていて、あなたに話を聞かなければなりません」と対応してくれていたら、こちらも協力する気持ちになったと思います。だけど、あまりにもバカバカしすぎました。

しかも、彼らは「善意」でやっているという思い込みが強く、なおさら不快感を感じました。今まで生きてきた中で、あんなに気持ちの悪い人たちを見たのは初めてです。

−−どうして真摯な対応をしないのでしょうか?

おそらく、本物の「悪人」をあつかうことがあるので、感覚がマヒしているんでしょう。こちらの良心や善意、理性がない前提で話をすすめてきます。「逮捕状が出るからには根っからの悪である」とみなして接してきます。

「正義」といいながらも、悪意に満ちた行為をする。しかも、その自覚がない。人間を閉じ込めて、社会生活や正常な思考、健康状態を奪うことを暴力だと思っていない。彼らが日常的にこんな暴力的なことして、家に帰って、「良きパパ」を演じているかと思うと気持ちが悪くて仕方ありません。

そして、捜査機関は結局のところ、上司の勘だったり、判断で動いています。長年の慣習にしたがって動いている巨大な機械のようなものです。

●絶望する人が増えることは危険

−−ほかに失望したことはありますか?

日本において法的知識を知っていても、捜査機関に逆らえないという途方もない現実です。次にこういった目にあったときは、徹底して連れ去られない、黙秘する、揚げ足をとられないという防御手段を講じようと思うんですが、その程度しかありません。

また、警察内では、基本的人権や法的支援、個人が生活するうえで守られているはずのもろもろがないことになっています。ある意味で一番の治外法権で、無法地帯ではないかという気がしました。

おそらく警察や検察、裁判所には想像力がないんでしょう。冤罪であるかもしれないという想像力がまったく働いていないし、最大23日間も勾留された人は、社会的に致命的な打撃を負うという想像力もない。留置場の生活に対する想像力もありません。その結果、警察みずから、アンダーグラウンドのネットワークをつくっているんじゃないかと思いました。

−−アンダーグラウンドのネットワークとは何でしょうか?

留置場の中では、ものすごく密接な人間関係を築かざるをえなくなるわけで、経験したことないくらいに身近な距離感でお互いの人間性に直面します。よくも悪くも、お互いのことが透けて見えて、愛着、信頼、絆みたいなものが芽生えてきます。

もし、23日間勾留されて、会社をクビになったり、家族・親戚が離れていった人がいたとして、ヤクザが「うちに来いよ」なんて言ったら、行ってしまうと思います。あの空間は、非合法な組織にとって、大変素晴らしいスカウトの場です。警察に対する不信感をもったアウトローがどんどん排出されていく。そういうことについても想像力が働いていないんでしょう。

留置場で勾留中の人たちがしばしば口にしたのは、「犯罪をおかしたほうが得なんじゃないか」ということです。友人に車のダッシュボードに麻薬を入れられた人や、仲間がその人の名前を言ったせいで捕まったりなど、本当にやった人の身代わりで入れられている人も少なからずいます。そういう人たちが「こんな目に合うんだったら、いっそのことやっておけば良かった」というんです。

ふつうの人は、違法だと思うことに手を出しません。それは、自分がまっとうでありたいと思うからですし、この国がまっとうだから、そのまっとうさに寄り添っていこうと思うからです。だけど、寄り添う国がまっとうじゃないと思った瞬間、途方もない絶望感が生まれます。親に裏切られた子どものような気持ちになるわけです。

幸いなことに、僕の場合、仕事がなくなることもなく、人間関係もそのまま温存されたので、決定的な絶望に至らずにすみました。ただ、絶望に至ってしまう人が相当数いるんです。

−−その根本にはなにがあると思いますか?

国民の無関心と恐怖心です。国民がこういう国にしてしまったというほかありません。僕自身も、無自覚に、捜査機関や裁判所を信頼していました。「何もいわなくても、まっとうにやってくれているはずだ」という、おかしな信頼です。

捜査機関も裁判所も、一般企業ではおよびもつかないくらいブラック企業な側面があります。上にさからったら、とばされる。出世できない。同僚からバカにされる。自分の能力が発揮できない役職につけられる・・・日常的に脅迫されているようなもんですよ。

そんな「病んだ人」たちが運営している組織です。そして、憲法で保障されている人権が、「病んだ人」たちによって、なし崩しにされています。

「これまでまっとうに生きてきた自分の人生は何だったんだろう」と思わされてしまいます。「この国では、まっとうに生きる価値がない」というところまでいってしまうことが一番おそろしいことです。国民が絶望することほどろくでもないことはありません。

少し見方をかえれば、信頼すべき国だし、文化もあり、生活も絶望的ではないはず。ただ、警察、検察、裁判所がバカなことをやっているせいで、絶望する人が増えているかと思うとやるせなくなります。

●現実には、『HERO』のような検察官はいない

−−そういう状況を変えるためには?

警察をかえるためには、検察をかえなくてはいけない。検察をかえるためには裁判所をかえなければいけない。そう考えると、裁判傍聴や、判決への関心の持ち方をかえないといけません。それも「あの悪人が裁かれた。バンザイ」という関心の持ち方じゃなくて、「この裁判官は本当に正しいことをしているのか」というふうにしていかないといけない。

だけど、日本人には、間違ってもいいから、最後まで従うことに自己満足を得るという国民性があります。幕末の話がいまだにもてはやされるのもそういうところがあると思います。機能を失った幕府にいつまでも忠義を抱く人たちを美化する。結局のところ、思考停止です。その思考停止をどうやって覆していくか。エンターテイナーとして、新たな課題が見つかりました。

−−今後の作品にも影響がありますか?

そうですね。留置場生活は、作品作りに影響を与えてくれたと思います。もう一段、登場人物を深く掘り下げて考えないといけないから、面倒くさいんですが(笑)。読者にも労力がかかります。でも、やらないといけないと思っています。

「結局、僕がこんな目にあったのはなぜか」ということを突き詰めて考えていくと、やはり、自業自得なところがあります。今まで警察を放置してきたのは、僕もそうなので。警察に対する無関心が無知を呼んで、暗黙の信頼に依存しすぎていました。そのことについて、なるべく多くの人に自覚してもらえるような作品をつくっていきたいです。

−−『こち留』では「喜劇」をキーワードにしていました。

これからも「喜劇」をキーワードにしたいと思います。現実には、『あぶない刑事』のような刑事や『HERO』のような検察官もいません。だけど、エンターテインメントは願望を与えてくれるものだという認識が非常に強い。「夢から覚まさないでくれ」という読者も多いです。

ただ、エンターテインメントは、現実を良くする原動力を得るための装置です。あの手、この手でやろうと思います。「悪」をスタイリッシュに書く方法もあるでしょうし、警察や検察、裁判所を笑い者にする書き方もあります。立派な裁判官が組織の圧力で砕け散ってしまう悲劇も書けるでしょう。

深みにはまっていけばいくほど、一般性がなくなり、娯楽性が失われていくという難しさがありますけどね。

弁護士ドットコムニュース編集部

最終更新:9/17(土) 9:18

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