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武豊、JRA所属馬で史上初の通算4000勝達成!

スポーツ報知 9月19日(月)6時4分配信

◆阪神4R3歳未勝利(18日・ダート1400メートル、阪神競馬場、不良)

 武豊騎手(47)=栗東・フリー=が18日、阪神競馬4Rの3歳未勝利(ダート1400メートル)でメイショウヤクシマに騎乗し、3馬身差の快勝。1987年3月のデビューからJRA通算勝利数にJRA所属馬での地方・海外の勝利数を加えて、通算4000勝を達成した。JRA史上初めてで、3日の札幌競馬10Rを勝って以来、33戦ぶりの勝利で大台到達となった。「次はJRAの4000勝もしたい」と新たな目標を掲げた。

 やっと決めた。武豊が手綱を執ったメイショウヤクシマが馬群から一気に伸びた。着差を広げていくと、雨に濡れながら見守った観客から拍手と歓声がわき起こった。3日の札幌競馬10Rで王手をかけてから15日、33レース目となった阪神4Rで通算4000勝を達成した。「大変長らくお待たせしました。札幌で達成できず、小倉で達成できず、先週も達成できず、ひょっとして(次回開催の)京都になるんじゃないかと思ってたけどよかったです」。冗談を交えながら、笑顔を浮かべた。

 1987年のデビューからJRAで歴代最多の3835勝に加え、JRA所属馬で地方154勝と海外11勝と計165勝をマーク。他騎手の追随を許さない“記録の申し子”は47歳になっても挑戦する姿勢を絶対に崩さない。この春、ラニとのコンビで日本調教馬として初めて米3冠にフル参戦。最終戦のベルモントSで歴史的な3着に入ったが「一瞬でも勝つと思った瞬間があったから。悔しい気持ちを感じています」と唇をかんだ。この負けず嫌いの性格と「競馬が好きで、騎手に憧れ、騎手になってからも競馬がすごく好き。(騎手を)辞めようと思ったことは本当に一回もない」という競馬を愛する気持ちが、前人未到の記録を支えている。

 8月12日に父の武邦彦さんが死去。父として、騎手として、その背中を見て育ってきた。告別式で弔辞を述べたのがメイショウヤクシマの松本好雄オーナーだった。「父の代からお世話になっているオーナーの馬で達成できて、父も喜んでいると思います」と笑った。その姿を見た松本オーナーは「これは武(邦彦)先生が導いてくれたんじゃないかな」とうなずいた。

 レース後に「JRA・地方・海外通算 4000勝」と記された祝福ボードを受け取った。「JRAの4000勝もしたい。同じボードをもらいたいね」。この日は1日3勝の固め勝ちでJRA通算は3837勝。無人の荒野を突き進む天才の向上心が尽きることはない。(山本 武志)

 ◆武 豊(たけ・ゆたか)1969年3月15日、京都府出身。47歳。87年に栗東・武田作十郎厩舎所属でデビューし、同年、京都大賞典(トウカイローマン)で重賞初V。88年の菊花賞で史上最年少(19歳8か月)クラシック勝利。13年のマイルCS(トーセンラー)で中央、地方、海外を合わせG1通算100勝を達成。JRA通算3837勝、重賞307勝、G170勝(いずれも18日現在)は歴代最多。170センチ、51キロ。血液型O。

【持井が見た】

 通算4000勝を打ち立てた人と同一人物とは思えない。武豊は本当によく物を忘れたり、なくしたりする。チケットを持たずにボクシングの試合に出かけたり、食事をした店にメガネを置きっぱなしにしたり…ただ、競馬のことになると鮮明に記憶している。

 話は30年ほど前にさかのぼる。デビューした年の1987年。その5月に牝馬のスイートラブ(父テスコボーイ)という馬に出会った。栗東・梅田康雄元調教師の管理馬で、初騎乗したレース(4歳上900万)は5着だったが、12回コンビを組んで、全5勝中3勝を挙げた。「レースで後ろから行ったり、いろんな作戦を試したりしても、先生は一切、文句を言わずに、見守ってくれた。そのあとステップアップする上できっかけとなった一頭」

 オグリキャップ、ディープインパクト、キズナ…ビッグタイトルを取り、自身をスターダムに押し上げてくれた馬はもちろんだが、この4000勝のうちの「3勝」への感謝を忘れたことはない。(持井 麻衣)

最終更新:9月19日(月)7時2分

スポーツ報知

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