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デジタル業界から転身、「赤坂駅3分の元料亭宿」へ

朝日新聞デジタル 9月18日(日)19時10分配信

【おいしいゲストハウス】デジタル業界から転身、「赤坂駅3分の元料亭宿」へ

 赤坂駅から徒歩3分、赤坂サカスや繁華街からもほど近い場所に、2015年6月、「Kaisu」がオープンした。Kaisu(カイス)とは、「会す」の意。その名の通り、世界中の旅行者から町内会のご近所さんまで多種多様な人々が会する場所を目指して作られた。

【写真】元料亭の建物を生かした「Kaisu」。カフェではコーヒーやクラフトビールも充実

 赤坂は東京六花街のひとつで、江戸時代から花街があったエリア。明治時代に花柳界が栄え、戦後の復興期も政財界の人々によってにぎわっていた。Kaisuの建物も、もともとは「島崎」という名の料亭だったという。モダンにリノベーションされてはいるが、入り口の引き戸や天井の梁(はり)、階段、中庭など随所に当時の面影が残っていて、思わず気分が盛り上がる。

 1階はラウンジで、2階は宿泊スペース。6人、14人、女性専用10人部屋のドミトリーに加え、2人用の個室もある。ベッドマットの置かれたポッドは通常より大きく設計されており、大きな荷物も置くことができるので便利だ。

 1階の中庭のあるラウンジに座れば、街の騒がしさもすっと遠くへ。ちょっとした隠れ家にいるような気分になる。適度なこもり感と、旅人が行き来する風通しのよさのバランスがちょうどいい。「BAR & TABLE」は朝10時から夜23時まで営業しているので、カフェ、ランチ、バーといろいろな使い方ができる。

 食材はファーマーズマーケットなどから仕入れた新鮮なもので、スペシャルティコーヒーも厳選したロースト豆。バーカウンターには伊豆で作られた「ベアードビール」のクラフトビールがずらりと並ぶ。デザートやケーキもいろいろな種類があるので、お酒を飲まない人も使いやすいだろう。出勤前にコーヒーをテイクアウトしていくサラリーマンもいるという(コーヒーのテイクアウトのみ、8時から)。

 旅人もローカルもみんな思い思いにくつろいでいるが、ふっと一息つける居心地のよさは、もと料亭という建物が持つ力かもしれない。

「この建物を見つけたのは偶然なんです。ここ20年は使われていなかったのですが、オーナーさんが売らなかったんですね。お母様が料亭を切り盛りし、実際に生まれた育った家だったので思い出がたくさんあったようです。ビルや駐車場にしたいという申し出はたくさんありましたが、もとの雰囲気を生かしたまま使ってくれる人を探していたようで……。そんなときに僕らが現れたんです」

 Kaisuを運営する株式会社コーテリーの取締役、鈴木重任さん(37)はそう話す。鈴木さんは「花柳界が栄えていた昔のように、世界中からいろいろな人が来てくれる場所にしたい」と思いを伝えたところ、オーナーさんも快諾。それなら面白いね、と背中を押してくれた。

 とはいえ、ゲストハウスのオーナーになるとは、数年前までは考えたこともなかった。Kaisuは、鈴木さんが大学を卒業してから住む場所も仕事も転々とし、いろいろなことを経験してきた末にたどりついた“場”だった。

日本で就職する気持ちになれず……
 鈴木さんは東京都出身。しかし、高校2年生から8年ほど住んでいたのは、アメリカだ。

「高校2年生のときにアメリカのメーン州に留学しました。1年の予定だったんですが、ようやく英語がわかるようになり、友だちができたときに帰国。もうちょっといたかったなと思っていたら、日本の担任の先生に『アメリカの高校を卒業して、そのまま向こうの大学に行ったら?』と言われて。アメリカの大学院を出ていた先生なので、理解があったんですね。そんなこと想像もしてなかったんですが、それならと試してみたことが始まりです」

 5月末に帰国すると、すぐに校長先生やホストファミリー、コーディネーターなどに推薦状を書いてもらい、アメリカ大使館へ行った。書類をそろえ面接を受けると、あっさりビザがおりた。そして9月の新学期には、再びアメリカの高校へ編入することができた。

 2年間アメリカの高校へ通い、無事に卒業すると、そのままボストン大学へ入学。国際関係学を専攻した。そして大学時代、ルームシェアをしていたうちの一人が、のちにKaisuの代表取締役になる河津考樹さん(38)だった。

 河津さんとはウマがあった。とはいえ、「彼はきれい好きで、僕は逆。二人とも性格は全然違います」と鈴木さんは笑う。しかし違うからこそ仲が良くもなるのだろう。

 1年先輩だった河津さんは、鈴木さんより1年先に帰国して日本で就職。鈴木さんは「どうしようかな」と悩みながらボストンにとどまっていた。アメリカでは、卒業後1年間は外国人でも就職できる。1年経っても必要な人材だったら、会社が就労ビザを取ってくれるシステムなのだ。その頃、すでに人生の3分の1近くをアメリカで過ごしていた鈴木さんは、日本で就職するという気持ちにはならなかった。「リクルートスーツで就職活動をする自分の姿も想像できなかったんです」。

 そんなとき、9.11のアメリカ同時多発テロが起きる。

「大きな事件でしたから、在米の日本メディアも人が足りなくて。たまたま知人のジャーナリストに声をかけられ、日本のテレビ局の仕事を手伝うことになりました。とにかく英語ができる人が必要だったんですね」

ニューヨークで身についた「提案型のワークスタイル」
 鈴木さんはワシントンD.C.に飛び、日本のテレビ局のインターンとしてかけまわった。そんなことがきっかけで、だんだんメディアの仕事に興味を持つように。そしてインターンが一段落すると、ニューヨークへ。サッカーニュースのデジタル配信をしている会社で働くためだった。ニューヨークなら日系の企業もたくさんあるはずだが、鈴木さんが選んだのはアメリカの企業だった。

「もちろん日系企業の募集はいろいろあったんですが、インターンのときに、現地採用と日本から赴任した人で大きな差があるのを目の当たりにして……。実務は彼らがしているのに、給料は全然違う。だから、日系企業の現地採用は受けませんでした」

 ニュース配信の会社に入ると、鈴木さんはどんどん新しいプロジェクトの提案をした。

「アメリカでは、自分から提案しないと仕事をしていると見なされません。だから、思いついたことはどんどん意見を言いましたね。それで実際にページビューも飛躍的に伸びて、次第に大きい提案もするようになりました」

 2002年、若干23歳の鈴木さんが提案したのは「日本支店を任せてほしい」ということだった。「もし僕にコンテンツライツや広告枠、全部任せてくれるなら、全部売ってくる。その代わりすべて僕に任せて好きにやらせて欲しい」と社長に直談判。すると、社長は面白がって「いいよ」と快諾してくれた。

 2002年、日韓共同開催のFIFAワールドカップ開催に合わせて、鈴木さんは8年ぶりに日本に戻ってきた。

<文・写真 宇佐美里圭/ライター>
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(朝日新聞デジタル &w)

朝日新聞社

最終更新:9月18日(日)19時10分

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