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“合併しない宣言”で有名に 前矢祭町長・根本良一さんは今

日刊ゲンダイDIGITAL 9月19日(月)9時26分配信

 平成の大合併に従わず単独自治を貫き、プライバシー保護のため住民基本台帳ネットワークシステムへの不参加を表明。さらに自らの給料をバッサリ削減する行政改革で勇名を馳せた首長が福島県にいた。矢祭町の前町長・根本良一さん(78)だ。退職したのは07年。あれから9年、今どうしているのか。

■退職後もさまざまな相談が持ち込まれる

 東京からクルマでおよそ3時間半。矢祭町は阿武隈山地に囲まれた福島県の南端、袋田の滝で知られる茨城・大子町と背中合わせに位置する。

 根本前町長が出迎えてくれたのは、町役場から西へ500メートルほど離れた、日帰り湯とホテルを併設した天然温泉施設だ。

「お風呂はアルカリ性単純泉の源泉掛け流しで、やけどや切り傷、疲労回復によく効くんです」

 誇らしげに語る根本さんの名刺には「株式会社根本家具店 代表取締役社長」の肩書。

「この家具店がウチの家業なんですよ。今は公職は一切してません。家具店は1933年に矢祭町に創業した総桐タンスの製造販売会社でして、業務拡張のため78年に大子町に本社を移転しました。ショールームを兼ねた現本社は、大子町役場のそばの元ボウリング場だった建物を改装して使用しています」

 社員数は約20人。家具やインテリア販売のほか、内装仕上げ工事の施行、さらに介護福祉機器の販売とリース、介護サービス事業も手掛ける。

「あとね、水戸市郊外の3ヘクタールほどの自社敷地で太陽光発電を行い、売電事業にも取り組んでおるんです。すぐには無理でも近い将来、『原発ゼロ』にすべきだと思ってますから、自ら率先して事業を起こしました」

 社長業の合間を縫って、友人や知人、かつての後援者からの相談に乗ることが多いという。

「会社経営から借金返済、就職、結婚・離婚、交通事故、家族間トラブルまで……。ありとあらゆるトラブルの相談が持ち込まれるんですよ。もしかしたら、社長業の時間より多いかもしれませんなあ、ハハハ」

■大胆な行政改革が話題に

 さて、矢祭町生まれの根本さんは、高校3年の時に家具店創業者の父を交通事故で亡くし、進学を断念して家業を継いだ苦労人だ。その後、商才を発揮して事業を拡大。人望が厚かったため、周囲に推されて矢祭町長選に出馬した。83年に初当選、45歳のことだった。

 その根本さんを一躍、時の人にしたのが、小泉政権によって平成の大合併が進められていた01年の“合併しない宣言”だ。

「矢祭町は、インフラ整備をほぼ終えてましたから、未整備の自治体と組まされたんじゃデメリットしかありません。しかも場所柄、近隣のどこと合併しても中心にはなれない。つまり、過疎化に拍車がかかるだけです。それで小さくても自立した町づくりを目指そうと思ったんです」

 政府からの補助金がなくても町政を運営できるよう、大胆な行政改革を実行した。

「まず私を含めた4人の特別職の給料をカットしました。私の場合、年間報酬は1133万円でしたが、約300万円ダウン。議員は18人の定員を10人に削減して、議会がある時だけ1日3万円の日当制に変えました。また、職員は給与に手を突っ込まない代わりに、半分以下を目標に随時減らしていきました」

 住民サービスが低下しないよう、出勤時間をフレックス制にして業務時間を延長。また職員宅を臨時窓口とすることによって、365日無休で対応できるようにした。そして02年、プライバシー漏洩の恐れがあるとして住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)に役場のパソコンを接続しないことを決め、またまた論議を呼んだ。

「住基ネットに接続するための基盤整備に、2年間で約2000万円かかる点も見過ごせなかった。矢祭では、町外で住民票を取るケースは年に10件あるかないか。コストに見合うわけがない」

 結局、マイナンバー制導入のため、町は15年3月に住基ネットに接続したが、この間、約2000万円もの経費節減になった。

 退職したのは07年4月。6期24年の町長生活にピリオドを打ったが、通常は授与される「市町村長総務大臣表彰」の対象から外され、これまたメディアで話題となった。

「そんなこともありましたなあ。でも税金で食ってきた者が、さらに税金で表彰されるなんてのは、“お手盛り”の最たるモノ。無駄遣いですから、今でも欲しいとは思いませんな」

 家族は妻と娘2人、長男1人。矢祭町の一戸建てに妻と2人暮らしだ。

最終更新:9月19日(月)12時23分

日刊ゲンダイDIGITAL