ここから本文です

<中朝関係>古代王朝思想が影響 毛沢東・金日成時代

毎日新聞 9月19日(月)7時40分配信

 【北京・河津啓介】中国・華東師範大学の沈志華教授が未公開の資料などをもとに中朝関係史をたどった著書「最後の『天朝』 毛沢東・金日成時代の中国と北朝鮮」(岩波書店、訳者・朱建栄東洋学園大教授)を日本で出版した。「血で固められた友誼(ゆうぎ)(友情)」とされる関係は毛沢東時代に作り出された「神話」と指摘する著書の背景などについて、沈教授に聞いた。

 --毛沢東時代の中朝関係の特殊性とは。

 ◆古代中国の中央王朝が周辺国家に示した姿勢と同じだ。中国を宗主国として認める従属国には、必要とするものはすべて与える。毛沢東は古書の読書量が多く、この伝統的な思想を強く持っていた。中国東北部が北朝鮮のものという発言は現代の考え方では理解不能だが、毛沢東は「天朝」という概念で問題を処理していた。

 --毛沢東時代に特徴的だと言う理由は。

 ◆(北朝鮮の)金日成主席の息子の金正日総書記が2000年代に訪中した際、中国東北部を「視察」したいと言った。中国語で「視察」とは中央の指導者が地方に赴いて指示を出すことを意味する。外国人なら「視察」でなく「訪問」だ。だが金正日は、父親が東北部は我々のものだと話していた、毛沢東が父親に言ったと主張していた。中国側は驚いて記録を調べたといい、すでにそうした考えはなかったと分かる。

 --中国は1972年のニクソン米大統領訪中後に対米関係の改善に動きます。著書で沈教授は、金日成主席が75年に朝鮮半島の武力統一を構想して毛沢東主席との会談に臨んだが、毛主席はその話題を避けたと分析しています。

 ◆当時の中国は(文化大革命で国内は疲弊し)経済再建が最優先だった。また、米国との関係改善に動いているので(「米帝国主義」と戦ってきた他国の)革命を明確に支持できなかった。晩年の毛沢東は、自らの革命理念と、現実の乖離(かいり)に悩んでいた。だから、そのような話題は持ち出したくなかったのだ。その後の中朝関係は、92年の中国と韓国の国交樹立を経て特殊性はなくなった。

最終更新:9月19日(月)7時49分

毎日新聞