ここから本文です

【ハマの匠たち】(中) ステンドグラス作家・平山健雄さん(67)

産経新聞 9月19日(月)7時55分配信

 ■「コク」ある作品追求

 光を通して色鮮やかに建物を彩るステンドグラス。日本での普及は130年程度と歴史は浅いが、奥深い魅力を少しでも多くの人に味わってもらおうと、横浜市内の工房で創作に打ち込む。長年の活動が認められ、平成12年度(第5期)の「横浜マイスター」に選ばれた。「認定されたことで、県内公共施設のステンドグラスの現状などについて、助言に耳を傾けてもらえるようになった。マイスター同士のネットワークも広がり、有意義な意見交換をしている」。日々新たな刺激を、創作の活性化につなげている。

 ◆高校生で出会い

 東京・四谷の板金工場を営む家の5人兄弟の末っ子に生まれ、ものづくりの大変さを目の当たりにしてきた。幼いときから体が弱く、小学6年生のときは1年の半分しか通学できなかったが、代わりに自宅で夢中に描いていたのが抽象画だった。

 早稲田実業高校在学時、近所の病院の待合室にあったステンドグラスに遭遇したのが人生の転機となった。抽象画の世界に似ていたのと、「ものを表現する上で、光は重要なポイントを握っている。ならば、ステンドグラスを極めよう」と心に決めた。

 大学卒業後に工房での見習いを経て渡仏。「単にガラスを切ってはめ込むだけでなく、顔などを細かく表現するために『ガラスを焼く』ことの重要性を学んだ」

 帰国後に独立して都内で工房を立ち上げ、昭和58年に横浜・東白楽、さらに平成8年に現在の菊名へ移った。

 ◆さりげない個性

 横浜市立大や港北区役所など県内施設のステンドグラスを制作した。思い出深いのは、横浜開港150年記念事業で横浜開港記念会館2階広間の3面ステンドグラスの改修事業にリーダーとして携わったことだ。

 新たに制作するのとは異なり、傷みの激しい作品を精緻に修復する作業は「想像以上に大変な取り組み」となった。自宅工房で作業することもできたが、あえて記念館の半地下スペースで来館者から見える形で作業した。湿気が多く、決して良い環境とはいえなかったが、「市民や県民の皆さんにも作業風景を見ていただき、より身近に感じてもらえたらとの思いだった。ほぼ完璧な形で修復でき、満足している」と振り返る。

 常に高い芸術性を追い求めるなかで心掛けていることがある。「設置する場所の光の入り方を記憶すること。これが非常に難しい。その上で原画を描く。色は控えめで、私の個性の香りがさりげなく主張するようにしている」

 現在は一般住宅の依頼を含め、「年5、6作品を制作するのが精いっぱい」というが、「賃貸住宅なども含め、さまざまな場所に、私がこだわる、『コクのある』工芸的なステンドグラスが広まってくれたらうれしい」。創作意欲はとどまるところを知らない。

                   ◇

【プロフィル】平山健雄

 ひらやま・たけお 武蔵野美大実技専修油絵科研究課程を修了。仏国立高等工芸美術学校ステンドグラス科へ留学する。ステンドグラスの古典技法を3年間学び、帰国後の昭和54年に「光ステンド工房」設立。工房で注文制作の傍ら、週に1回教室を開催している。東京都出身。

最終更新:9月19日(月)7時55分

産経新聞