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<リオパラ>託された最期の夢…ぬいぐるみの「リレー」

毎日新聞 9月19日(月)21時42分配信

 障害者スポーツの祭典パラリンピックは18日(日本時間19日午前)、リオデジャネイロで閉幕し、バトンが東京に引き継がれた。最終日も選手たちはそれぞれの思いを胸に、全力で競技に臨んだ。閉会式では障害者のパフォーマンスが会場に感動を呼んだ。

 【リオデジャネイロ岩壁峻】18日の車いすマラソンで、男子の日本勢は7位が最高だった。2020年東京パラリンピックに向けて若手の台頭も望まれる中、次代を担うランナーが7月に31歳で死去した。かつて箱根駅伝に出場し、がんが原因で左脚を失った小島将平さん。家族は小島さんに見立てたぬいぐるみを交流のあった代表選手に渡し、リオへの思いを託した。

 小島さんは早稲田大進学後、2年時の06年に箱根駅伝の8区を走った。10年に腰の周辺に骨肉腫を発症し、程なく左脚の切断を余儀なくされた。絶望にさいなまれる中、大学の1年後輩で08年北京五輪代表の竹沢健介さん(29)から車いすマラソンを紹介された。

 12年春、小島さんは竹沢さんらを通じ、12年ロンドン・パラリンピックの車いすマラソン代表だった花岡伸和さん(40)と出会い、指導を受けるようになりめきめき上達した。

 レースに積極的に参加し、リオ大会、その先の東京大会を見据えて競技に打ち込もうとした14年末、小島さんはがんを再発した。看護師で同年春に結婚したばかりの妻美幸さん(36)は「左脚を失ってまで生きることを選んだのに今度は陸上を奪うのか」とやり場のない怒りに襲われた。それでも小島さんは「やってみな分からんやろ」と最期まで復帰を目指していた。

 闘病生活で、小島さんは一線級のパラリンピアンから激励を受けた。リオでパラリンピック4大会連続出場となった副島(そえじま)正純(46)=ソシオSOEJIMA=もその一人。小島さんの死から約2週間後に行われたリオ代表の結団式で、美幸さんは副島らに「彼(小島さん)に似ている」というサルのぬいぐるみを手渡した。自身もパラリンピック個人で初メダルを目指した副島は18日の車いすマラソンで11位だった。小島さんのことを考えると言葉に詰まったが「若い連中を引っ張っていきたい」と語った。小島さんの思いは東京に引き継がれる。

最終更新:9月19日(月)22時50分

毎日新聞