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【あの時・75年カープ初優勝】(4)取り消されたルーツ監督退場処分

スポーツ報知 9月19日(月)15時10分配信

■徹底した意識改革

 日本球界初の外国人監督となったルーツとは、どのような人物だったのだろうか。72年にカープが米アリゾナでキャンプを張った際、インディアンスのコーチとして指導したことが縁で、74年に森永勝也新監督の下で打撃コーチに就任した。しかし、森永は立て直しに失敗し、チームは3年連続最下位。その責任を取り、たった1年で辞任する。広島は、日本の野球を1年間見たメジャーの頭脳にチームの再建を託した。

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 ルーツが最初に行ったことは、徹底した選手の意識改革。「君たち一人ひとりの選手には、勝つことによって広島という地域を活性化させる使命がある」と鼓舞し、闘志を前面に押し出すことを求めた。闘志の象徴としてユニホーム、ヘルメットを燃える赤に変えることも提案したが、準備期間が足りず、青だったヘルメットが赤になっただけだった。それでも「赤ヘル軍団」と恐れられる第一歩を踏み出した。

 補強にも関わった。メジャー時代の人脈を生かし、2人の助っ人を獲得。不動の3番打者として全試合に出場し、95打点を挙げたゲイル・ホプキンスは、74年限りで引退し、メキシコの医科大学への進学が決まっていたところ「カープの選手に勝ち方を教えてやってほしい」と強引に口説き落とした。勝負強い打撃とムードメーカーとして活躍したリチャード・シェインブラム(登録名シェーン)は、米オールスターに出場経験がある大物選手だった。ルーツでなければ招請できなかっただろう。

■宮本跳び蹴り事件

 徹底したメジャー流の合理主義も導入した。「投手はハートとヘッド」と1日30球以上の投げ込みを禁じた。野手は1回7スイングを数回やるだけと、日本流の長時間練習を排し、実戦に則した練習を推し進めた。一方で、闘志を求めるあまりあつれきも生む。

 4月11日の中日戦(広島)。9回1死満塁で木俣達彦のハーフスイングをボールと判定された宮本幸信投手が、原田球審に跳び蹴りを浴びせる“事件”が起きた。退場が宣告されたが、今度は柏木右翼外審に対してルーツが激高し、激しく押した。興奮した観客がグラウンドになだれ込み収拾がつかなくなる騒ぎに、審判団は監督の退場処分を取り消す異例の措置を取った。

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最終更新:9月19日(月)15時15分

スポーツ報知

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