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【ハマの匠たち】(下)西洋料理・清水郁夫さん(73)

産経新聞 9月20日(火)7時55分配信

 ■「食」は人生を豊かに

 「白い調理服姿のコックさん。さっそうした姿が目に焼き付いていた」

 小学生時代、岐阜市内にあった米軍基地からの招待でクリスマスパーティーに参加した際、広々としたオープンキッチンの中で楽しそうに料理の腕をふるう姿に目を奪われた。その出会いが、料理人の道へと歩む大きな転機になった。

 憧れを胸に、料理界に飛び込んだのは昭和39年2月のこと。それから30年余、各地の一流ホテルなどでの長年にわたる活躍が評価され、平成9年度に横浜市から「横浜マイスター」(第2期)に認定された。60歳を迎えた15年に一線を退き、現在は横浜市内の小、中学校の家庭科授業などで自らの技を次世代に伝授している。

 ◆誰よりも早く

 料理界への一歩を踏み出した神戸市内のホテルでは、「『誰よりも早く』と、朝5時くらいには調理場にいた」という。

 新人に与えられた仕事は野菜の皮むきや鍋洗い。「大きな鍋一杯にジャガイモが入っており、それを午後2時から10時ごろまでひたすらむいた」と当時を振り返る。帰宅した頃には、疲労で手が震えることも。

 だがそういった仕事を続けているうちに基本的な刃物の使い方や食品への衛生意識を身に付けることができ、「無駄なことなんかない」と実感した。

 さらなる研鑽(けんさん)を積むために、都内のホテルに移籍した。早朝は仕込み、昼間は通常の厨房業務。自由な時間となるのは、先輩が仕事を終えた午後11時過ぎから。見よう見まねで覚えた包丁さばきや味付けなど基本技術の自主練習に励んだ。「睡眠時間は2、3時間だったが、苦労は全く感じなかった」

 ◆フランス修業

 そんな忙しい毎日を送る中、「フランス料理を極めるため、本場で学びたい」という気持ちがふつふつと芽生え始めた。夢の実現に向け、帰宅後は参考書を読みふけり、休日にはフランス語教室へ通う日々。

 そんな努力が認められ、2年、フランスへと渡ることが決定。当初はフランス語での自己紹介もたどたどしく、厨房(ちゅうぼう)には仏語辞典、和仏辞典、仏料理用語辞典を置き、料理と同時にフランス語にも悪戦苦闘した。たまの休みにもパリ市内の有名レストランに足を運びフランス料理を探求した。

 日本のホテルで培った自慢のデミグラスソースで煮込むビーフシチューは舌の肥えたフランス人をもうならせた。約3~5週間かけて作るため、微妙な火加減、あく取りなどが要求される繊細な作業だ。賞賛の声が届くにつれ、「自分のやってきたことは間違っていなかった」と感じることもあった。

 留学してから2年後、長年フランス料理に取り組んできた姿勢や技術が認められ、フランス料理界における最高名誉称号の一つである「オーギュスト・エスコフィエ協会 ディシプール章」を受章した。「うれしい気持ちもあったが、それ以上に、料理人としての責任感が増した」と語る。

 帰国後はメルパルク(旧郵便貯金会館)の名古屋会館などで総料理長を務めた。その後、全国各地で後任指導にあたった後、「料理は五感で楽しむもの」というモットーで、自らの技を地域の小中学校の家庭科授業などを通じて伝授している。

 「『食』は人生を豊かにする。その意義深さを伝えていけたら」。料理の楽しさ、意義深さをまだまだ伝え続けるつもりだ。

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 連載は那須慎一、古川有希、河野光汰が担当しました。

【プロフィル】しみず・いくお

 昭和37年に岐阜県内の中学校卒業後、大阪市内の大阪総合職業訓練所を経て、39年に神戸市内のホテルに入社、料理の道に入る。平成2年にフランスへ渡り修業。15年に「メルパルク名古屋」で定年を迎えた後、財団法人郵便貯金振興会で調理企画室長など歴任。横浜市南区在住。

最終更新:9月20日(火)7時55分

産経新聞