ここから本文です

「私がジャーナリストになったわけ」 現地の声伝えたい~クルド人弾圧目撃をきっかけに(玉本英子)

アジアプレス・ネットワーク 9月20日(火)6時0分配信

◆「何が起きているのか知れば、あんたも同じことをするだろう」

ずいぶん昔のことだが、フリージャーナリストの仕事をする前は、製菓会社のパンフレットやポスターをつくる新大阪のデザイン事務所で働いていた。学生時代から希望していた職種で仕事は楽しく、不満などなかった。

【関連写真を見る】ISによる集団虐殺の悲劇(写真7枚+図解)

それを変えたのがテレビで見た国際ニュースだった。ドイツの高速道路で抗議行動をしていた人びとの中から、男性数人が自分の体に火をつけて機動隊に向かっていく姿が映った。私は衝撃を受けた。彼らはトルコ南東部出身のクルド人で、ドイツ製の武器がトルコでのクルド人弾圧に使われていると、抗議行動をしていたのだった。

その後、私がオランダに行き、あるクルド人カフェを訪れたとき、テレビで見たその人、焼身決起をした男性に偶然会った。火傷の治療のためにオランダにいたという。体はやせ細り、全身やけどの痕が痛々しかった。私は失礼ながらも「なんであんな焼身行動をやったのですか?」と聞くと彼は「私の故郷へ行って何が起きているのか知れば、あんたも同じことをするだろう」と言った。

その後、私は彼の故郷であるトルコ南東部へ向かう。
現地では、民族の権利を求めるクルド組織を支持するクルド人への弾圧を目のあたりにした。日本では「テロリスト」という言葉で片付けられていたクルドゲリラ。たしかに市民を無差別に殺傷する過激主義者もいた。

だが、武装組織とは関係のないたくさんの住民が、治安部隊の弾圧にさらされていた。私の知らない世界の裏側で、怒りと悲しみが渦巻いていた。彼らが投獄や拷問されていた同じ時期、私は何も考えることもなく、恵まれた環境の中、学生時代を楽しんでいた。頭をガツンと殴られた思いがした。この同じ時代に、苦難に直面し、その中に生きる人びとに目を向ける、「現地の声を伝える=ジャーナリスト」になりたいと思うようになった。

取材も渡航費も自分持ちのフリーランスは、大変な仕事だ。人びとの思いを十分に伝えられたわけではない。それでも続けてこられたのは、たくさんの出会いと励ましがあったからだ。日本で知られてこなかったこうした「声」を届けたい、とメディアの方たちに発表の機会も頂いた。

私がジャーナリストの仕事を始めた頃に比べ、世界は良くなったかと振り返る。戦争は各地で続き、シリア内戦では、400万人以上が難民となった。爆弾事件の現場で泣き叫ぶ人びと、瓦礫のなかから引きずり出される血まみれの子供の遺体。かつてはなかったインターネットやツイッターで、そうした映像が毎日発信される。いまこの瞬間に起きているたくさんの悲劇を目にしているのに、国際社会は、この戦争を止めることができないでいる。私のシリア人の友人ほとんどがこの戦乱で家を失い、故郷を追われた。イラク人の知人たちは、親戚や知り合いの誰かが自爆事件など過激主義の犠牲となった。

紛争の現場を取材することに対する日本社会の見方も変わった。危険地帯やその周辺地域へ近づくことに厳しい目が向けられ、これまで以上の安全対策を心がけている。課題はあるが、それでも時代にあわせた形で、現場の声を伝える努力は続けたいと思っている。(玉本英子)

(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」9月13日付記事を加筆修正したものです)

最終更新:9月20日(火)6時0分

アジアプレス・ネットワーク