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台湾に伝わる沖縄発祥の水中メガネ 今も息づく「海人」の記憶

沖縄タイムス 9/20(火) 14:00配信

 沖縄の漁民が使う水中メガネ「ミーカガン」が、台湾の基隆北部の漁村、八斗子(はちとうし)にある民間の博物施設「八斗子漁村文物館」に展示されている。台湾では日本統治期を中心に糸満など沖縄出身者が漁業を行っており、同施設代表の許焜山(シュ・クンシャン)さん(61)は「八斗子の漁民は沖縄の漁民から(ミーカガンのことを)教わった」と話す。沖縄のウミンチュ(海人)から伝わった技術が、歴史を刻む貴重な資料として台湾の港町に残されていた。(台湾・松田良孝通信員)

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 八斗子から北東に約3キロ離れた基隆市内の小島、和平島は日本統治期には「社寮島」と呼ばれ、台湾・中央研究院の朱徳蘭研究員の調査によると、日本統治期の社寮島では1915年に約200人の沖縄出身者が住み、30年には74戸からなる沖縄集落があった。沖縄漁民は社寮島以外にも足跡を残しており、民俗学者の国分直一さんは44年に宜蘭県蘇澳鎮の南方澳にあった沖縄出身者の集落で行った調査結果のなかに、ミーカガンのスケッチを残している。

 許さんによると、八斗子の人々は社寮島を拠点とするカジキ漁の船に乗り込むなどしていたことから和平島の沖縄漁民と知り合い、ミーカガンの作り方やミーカガンを使った素潜り漁を教わった。同施設には漁師から寄贈を受けた複数のミーカガンを収蔵。頭に固定するバンドに自転車のタイヤチューブを使用したものもある。

 許さんは漁民だった父や兄の手伝いで中高校生のころにミーカガンを使い、素潜りで熱帯魚やテングサ、アワビなどを捕っていた。数年前に糸満海人工房・資料館を訪れるなど沖縄の漁業にも関心を持つ。

 許さんらは、八斗子の漁民の高齢化や後継者不足などから「漁村の豊かな文化が忘れ去られてしまう」と2006年に同施設を開設。漁具など1千件余を収蔵するほか、引退した漁民からの聞き取りやルポ、小説などを収録した雑誌「東北風」の刊行にも取り組む。

 同施設は3日、地元の小学生を対象に郷土学習の講座をスタート。

 許さんは「八斗子の漁民には百年の歴史があるが、農業や工業、商業に比べ記録は少ない。漁業に関する文学資料も集め、漁村の豊かさを広く伝えたい」と話している。

最終更新:9/20(火) 14:00

沖縄タイムス