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三浦の背番号18は半永久欠番「横浜ナンバー」に

スポニチアネックス 9月21日(水)7時0分配信

 「ハマの番長」の魂はDeNAの象徴として永遠に受け継がれる。球団は背番号18を「横浜ナンバー」と名付け、半永久欠番とすることを発表。会見後、池田純球団社長は三浦の功績を称えながら説明した。

 「日本球界では数少ない一つのチームでずっとやってきた選手。三浦大輔という存在は横浜にとって“永遠番長”ですから。その象徴がつけていた番号だと思う。精神も含めて受け継いでいく」

 三浦は91年のドラフト6位で大洋に指名され、以降25年間のプロ野球人生を横浜一筋で歩んできた。入団時の背番号は46。96年から球団に「18番をつけさせてほしい」と申し出て、98年に念願の番号を手にすると自己最多タイの12勝を挙げて日本一に貢献。それまで球団の歴代のエースナンバーは異なっていたが「横浜のエースナンバーを18にする」との覚悟で19年間、背負い続けた。

 番長の心は一度だけ揺れた。08年のシーズン終了後にFA宣言。阪神移籍か横浜残留かで悩み、最後は「強いチームを倒して優勝したい」という“番長道”の原点に戻り残留を決断。会見当日の朝イチで横浜市内の自宅から飛行機で大阪市内に向かい、阪神の沼沢正二球団本部長(当時)ら編成担当者に直接会って断りを入れた。「横浜に残って良かった」。横浜愛を貫いた三浦の会見の言葉には実感がこもった。

 球団は背番号18を「プレー、振る舞いともにチームをけん引する、象徴となるべき存在がつける番号」と定義。後継にふさわしい選手が現れるまでは欠番とし、最終的には球団と三浦が協議した上で継承する。球団のエースとしての誇りが詰まった「横浜ナンバー」を受け継ぐ条件として、三浦は「背番号の重みを分かってもらえる選手」と要望した。

 いつか監督として戻ってきてほしいか問われた池田球団社長は「横浜の“永遠番長”ですからね」と繰り返し、指導者としての復帰に期待を込めた。その願いは横浜ファンも同じに違いない。(青木 貴紀)

最終更新:9月21日(水)10時40分

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