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【インタビュー】オダギリジョー、30代最後の作品 人間臭さを深め40代のステージへ

cinemacafe.net 9月21日(水)21時0分配信

離婚を経験し、東京から故郷の函館へと逃げるようにして帰って来た40の男が、人との深い関わりを避けながらも、どうしても逃げられない人と人とのぶつかり合いを経験しながら成長していく姿を描く『オーバー・フェンス』。自らと同年代の主人公・白岩を情けなく滑稽に、だからこそ現実味たっぷりに体現するのはオダギリジョー。孤高の作家とも称される佐藤泰志の短編小説の世界観を、映像化に際し豊かに広げた脚本に惚れこんだという彼に、作品に寄せる思いを語ってもらった。

【画像】主演を務めるオダギリジョー

『オーバー・フェンス』は、オダギリさんが、39歳で挑んだ30代最後の作品。同年代を演じるというところにも、強い思いがあったという。「僕、山下敦弘監督を含め、同年代のスタッフが多く、お話をいただいたとき、何となくそういう世代感のようなものがひっかかったんです。これまでは、ちょっと変わった役や作品を選んできたかなという思いがあったので、地方都市にいる、ごく普通の40歳という人物をどれだけ深堀できるだろうかということも魅力でした」。

これまで、個性的な役を多く演じてきたオダギリさん。エキセントリックな役柄は、インパクトが強く、迫力があるだけに、役者として旨味も大きいはず。一方で、普通の男を演じる魅力についてこう話した。
「40代の男は、20代の若者と比較したときに、明らかに出るものが違うと思うんです。例えば、雲を見ているときでも、20代が雲を見ていればすごく爽やかで夢を見ているようなすがすがしいものを感じるけれど、40代なら“あれ? 悲しいことでもあったのかな”とか観ている側が勝手に解釈を変えてくれる。つまりこちらの芝居次第で、清々しくも、悲しくも見せられるし、ぐんと可能性を広げられるということでもあると思うんです。それがきっと40代の面白さ。同じ年の山下監督と、白岩という同年代の役の人間臭さをどんどん深めて行って、男の情けなさとか、頼りなさとか、滑稽さとか、そういったいろいろなことを深めていけたらいいなと思ったんです」。

エキセントリックな役が多かった時期は、どちらかというとオリジナリティを大切にしていたそうだ。「自分にしかできない芝居をと考えていましたね。誰もできない発想、誰も表現できない個性、というところに面白さを感じていたんです。今回は真逆ですね。普遍的な40代のあり方を追求し、それが普遍的であればあるほど、こういう40代っているよねというところに落ち着くのが面白かった。いままでやってきたのとは、違うベクトルで演技を組み立ていきましたね。ある年齢に達した男の人が持っている男性性を表現したかった。普遍的なものを演じたいと言うよりも、この作品ではそれが面白いと思ったんです」。

劇中、男の情けなさ、ずるさを自分なりに表現してみたいと、監督と話し合い、自らのアイディアを実践することもあったとか。「こういうことをすると、女性がイラッとするだろうなと思って、やらせてもらったくだりもあります。そういう滑稽さとか、人間のずるい部分とか、自分勝手な部分も、この役なら活かせる気がして。そういう細かい部分が白岩の幅をどんどん広げていける気がして。人間の綺麗な面ばかり並べても、表面的な作品にしかならない気がしているんです。ムカついたり、イラッとしたりと、観ている人の感情にひっかかる、そんな要素を入れるように心がけました」。

確かに、白岩の言動には“男の人ってこういうことするんだよな”という部分が、良きにつけ悪しきにつけ、浮かび上がります。だからこそ、女性の観客は白岩に呆れることもあるはず。でも、それは男性が知らないうちにしでかしてしまう種類のもの。オダギリさん自身が客観的にそこを理解できるというのは、男性として珍しいのでは?

「そうかもしれませんね。気づくには気づくんでしょう、僕は(笑)。気付かないところもいっぱいあるんでしょうけれど。いままで女性がなぜ怒っているのかわからないこともいっぱいあったし。ただ、こういう返事をしたらずるいよなと思いながら、そう返事するということもいままでいっぱいあった。そういうことがいまになって活かせるのかもしれません。きっと相手のリアクション、相手の気持ちみたいなものを、注意して感じようとして育ったからかな。いい子でいたかった子どもって、相手の出かたとか、距離感とかすごく測る。きっと自分もそういうところから、人との関係性の構築の仕方を始めているような気がしています。僕も、いい子でいたいタイプの子どもでしたね。母と2人きりだったし、ちゃんとしなさいと言われ続けて育ちましたから」。

劇中、白岩は幾度も“自分は最低な人間なんだ”と笑いながら言い、それを言いわけにして人間関係から逃げている。いまいる場所から、どうしても飛び立てないもどかしさに、絶望しているかのように。「人との距離を保っておくのが一番楽なんですよね。そうやって予防線を張ることで、傷つけ合わずにすむから」。

本作では、傷つくのが嫌で人と距離を保っていた白岩が、容赦なく心に入り込んで来る聡というまっすぐな女性との出会いによって、何かを乗り越えていく様に、ある種の爽快さが感じられる。自分一人では超えられない壁だって、誰かとの出会いによって、ときには傷つきながらでも越えられるかもしれないというメッセージが鮮烈だ。聡がしきりに鳥の求愛行動を真似するのも印象的。さらには、鳥が空を飛ぶシーンも時折さしはさまれていて、柵も塀も、国境も関係なく飛んで行ける鳥が自由の象徴のように登場している。

「聡という女性はとても純粋。ぶつかるときは、本気でぶつかるんです。白岩がずっとぬるま湯の中で、いい距離感を保っていこうと思っていたのに、それが通じなかった。彼女のペースに巻き込まれていくというか」。できれば、誰だって傷つかずに生きていきたい。現代は、摩擦を避ける傾向が顕著で、直接的に関わるのではなく、ネットなどヴァーチャルな繋がりを好む人も増えている。

白岩にも、無意識のうちに鎧を着る、そんな現代性も見て取れる。でも、どんなに人との間に柵を作ろうとしても、人は人と関わらずには生きて行けず、いやがうえにも影響し合ってしまう。その部分を強調するかのように、劇中では人との関わりの重要性を反映させているアナログなコミュニケーションが繰り返し登場するのも新鮮だった。「携帯やPCを使うシーンはないですね。白岩が通う職業訓練校の場面では、たばこを吸いながら喫煙室で雑談を交わしたり、休憩時間にみんなで教官の悪口をぶつぶつ言いながら野球をしたりしている。野球もチームプレイのスポーツで象徴的。家を建てるという職業訓練所での授業内容も、チームワークを象徴するものですよね。離婚して、東京から函館に戻るときに、ゼロから出直すつもりだった白岩。人間関係をすべてシャットアウトした状況で戻って来たのに、人間関係を持たざるを得なかった。そこから、生きると言うことはこういうことなんだと学ぶんです。監督は、どちらかというと群像劇にしたいとおっしゃっていたので、そのつもりでいたんですが、群像劇の中から生まれる人と人との温度のあるぶつかり合いと、聡の情熱的な熱量の高いぶつかり、その両方を通して白岩が成長していく物語と言えるのかもしれません」。

ヘアメイク:砂原由弥(YOSHIMI SUNAHARA)
スタイリスト:西村哲也(TETSUYA NISHIHARA)

最終更新:9月21日(水)21時0分

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