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【DeNA】番長、引退!背番「18」は半永久欠番に ハマの監督で「戻ってきたい」

スポーツ報知 9月21日(水)5時3分配信

 「ハマの番長」が白球を置く―。DeNA・三浦大輔投手(42)が20日、今季限りでの現役引退を表明した。横浜市内で会見し、男泣き。大洋から横浜一筋で25年間を歩んだ球界最年長に対し、球団は背番号18を「横浜ナンバー」とし、半永久欠番に決定。24日の巨人戦(横浜)でプロ野球新記録の24年連続勝利を目指す右腕は、将来的な指導者転身にも意欲を示した。

【写真】19年間背負い続けた背番号18とともに会見した三浦

 いつものリーゼントスタイルで、決意を込めて切り出した。「私、三浦大輔は今シーズン限りで引退します」―。「D.MIURA 18」のボードをバックにした三浦は無数のストロボを浴びながら、テレビカメラ20台、約150人の報道陣に向かい、四半世紀にわたるプロ野球人生にピリオドを打つことを明かした。

 これまでの生き様を示すように、潔く言った。引退の理由は―。「勝てなくなったからです」。今季2度の1軍登板で0勝2敗。5回途中2失点で敗れた16日の阪神戦(甲子園)後、球団に意思を伝えた。「25年間、横浜の街に育てられた。うれしいことも苦しいこともたくさんある。みなさんに支えられて一歩ずつ進むことができた」と歩んできた長い道のりを振り返った。

 大洋時代の91年、ドラフト6位で入団。98年に日本一に導き、横浜、DeNAと一筋で歩んだ。いつしか「横浜=三浦大輔」という存在になった。08年オフにFA宣言し、地元・阪神への移籍の道もあったが、残留を決断。「あの時『横浜に残って良かった』とたくさんのファンが喜んでくれて、本当に三浦大輔は幸せ者だなと思う」と感謝した。

 40歳を境にして、2軍にいる期間が増えた。「もう引退かな」と心が折れそうになったことは数え切れない。「1軍の試合をテレビで見ている時にも…」。そう語ると、言葉を詰まらせ、目から熱いものがあふれた。「18番のユニホームを着て、応援してくれるファンを見たら『絶対、あのマウンドに戻るんだ』と」。後押ししてくれる存在がハマスタにいたから、今日まで右腕を振り続けることができた。

 25年間の功績に球団も最大限に配慮する。背番号18を「横浜ナンバー」と名付けて欠番とし、ふさわしい後継者が現れた時、球団と三浦が協議の上で継承する。チームに永久欠番はないだけに、異例中の異例とも言える対応だ。1年目から6年目までは背番号46だったが「横浜のエースナンバーを18番にする」と球団に申し入れ、3年越しのラブコールが実り7年目から19年間、代名詞を背負っただけに「重みを分かってもらえる選手につけてもらえたら」と願った。

 14年から兼任する投手コーチ継続は未定だが、球団は本人の意思を尊重する方針。将来的な監督就任への思いについて「現役は卒業するけど、野球からは卒業しない。指導者という道も夢にはある。また横浜に戻ってきたい」と胸を膨らませた。一方、トレードマークのリーゼントは「卒業…しません! できる限り、やり続けたいなと思います!」と“生涯現役”を力強く宣言した。

 大洋時代を知り、98年の日本一を知る現役唯一の選手。24日に先発予定の本拠地最終戦・巨人戦が、プロ野球新記録の24年連続勝利がかかる最後の登板になる。「勝ちたい。それだけです」。男は多くを語らない。「ハマの番長」と愛された背番号18が、三浦大輔として最後の生き様をマウンドに記す。(神原 英彰)

 ◆三浦 大輔(みうら・だいすけ)1973年12月25日、奈良県生まれ。42歳。奈良・高田商高から91年にドラフト6位で大洋(現DeNA)入り。98年に12勝を挙げ、日本一に貢献。05年には防御率2.52、177奪三振で最優秀防御率と最多奪三振。昨季は山本昌、工藤公康両投手と並ぶ歴代1位の23年連続勝利を記録。今年7月11日の中日戦(横浜)で安打し、24年連続安打。「プロ野球投手による安打を放った最多連続年数」はギネス世界記録に認定された。14年から投手コーチ兼任。04年アテネ五輪の日本代表メンバー。今季年俸は1億2500万円。183センチ、88キロ。右投右打。

最終更新:9月21日(水)11時31分

スポーツ報知

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