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シベリア抑留を扱ったドキュメンタリー2作品が同時上映

映画ナタリー 9/21(水) 16:18配信

シベリア抑留を扱った久保田桂子による記録映画「祖父の日記帳と私のビデオノート」「海へ 朴さんの手紙」が、2作品あわせて「記憶の中のシベリア」のタイトルで10月8日より東京・K's cinemaほかにて順次公開される。

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2014年に開催された第5回 座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルのコンペティション部門で大賞を獲得した「祖父の日記帳と私のビデオノート」は、シベリア抑留の体験を持つ久保田の祖父を被写体にした作品。インタビュー映像や写真、日記をつなぎ合わせ、2012年に逝去した祖父の思い出をたどる。一方、「海へ 朴さんの手紙」は、シベリア抑留を経験した元日本兵のパク・ドフン氏に光を当てたドキュメンタリー。戦友である山根秋夫氏に何度も手紙を出したが一度も返信がなかったというパク・ドフン氏のために、久保田は手紙を届ける旅に出る。

現在YouTubeにて予告編が公開中。

久保田桂子 コメント
「祖父の日記帳と私のビデオノート」について
百姓だった祖父が話すことはいつも決まっていた。天気と畑仕事のこと、そして戦時中にいた中国やシベリアのこと。2000年、私は家から離れた大学で映像を学び始め、祖父に会うのは年に数回になった。
私は祖父が戦争に行った年齢と同じ20代になり、当時祖父がどんな思いで生きていたのかに興味を持つようになった。何より、感情的な話をしない祖父は、私にとって家族の中で最も謎めいた人であった。
2004年から私は帰省する度にビデオカメラで祖父を撮影し、祖父は農作業の合間に当時のいろいろな話をしてくれた。しかしその話は断片的で、依然として私は祖父との心の距離を縮められないのを感じていた。
2010年に祖父は認知症により以前のように会話を交わすことが出来なくなり、その二年後に祖父は亡くなった。私は祖父の写真や日記、そして自分の撮った映像の断片を用いて私の知る祖父の姿を形作りたいと思った。

「海へ 朴さんの手紙」について
この作品は、シベリア抑留を経験した元日本兵の朴さんが戦友・山根さんへ宛てて書いた手紙についての物語です。
私はシベリア抑留を経験した祖父を持ち、2013年に祖父についてのドキュメンタリーを制作しました。その中で、2004年より自分の祖父をはじめとする、日本、韓国のシベリア抑留者の体験談の聞き取りを行っており、2005年に韓国へ取材に行きました。そこでシベリア抑留者を経験した7人の元日本兵の方々にお話を伺いましたが、その中に朴道興(パク・ドフン)さんがいました。他の人が植民地時代や軍隊での苦労や日本への憎しみを語る中、朴さんは始終日本軍時代に出会った日本人の友人・山根さんのことを語り、「今も彼を思い出すと眠れない時がある」と目に涙を浮かべました。私は帰国後シベリアの抑留者名簿で山根さんを探しました。しかし彼の名前はなく、朴さんから聞いた彼の故郷の住所も存在しませんでした。
その後も朴さんと手紙のやりとりは続きました。朴さんは1997年頃、山根さんに宛てて沢山の手紙を送ったことを教えてくれました。その手紙はどれも住所が不明瞭なため届きませんでした。私はその手紙を一通預かり、そこに書かれた地名をたよりにふたりの足跡を辿りながら山根さんの手がかりを探しました。
私が朴さんと出会ってから2年後、ついに山根さんの消息を知ることが叶いましたが、彼はすでに亡くなっていました。私は山根さんの命日に、彼の妻である山根みすえさんに会うために広島へ向かいました。みすえさんはかつて夫にあてて書いたラブレターのことを話してくれました。
この作品は、手紙についての物語です。私はふたりの人と出会い、彼らは私に今は亡き大切な人への手紙を読んでくれました。旅の途中、船の上で「行くあてのない手紙や、そこ込められた想いはどこへ行くんだろう」とよく考えていました。この作品が、彼らの想いを満たす器になればいいと思います。作品を作り終えた今、日々の中で、彼らの言葉がふいに思い出されることがあります。そうした時、風景の中に彼らの存在を感じます。朴さんやみすえさんは、こんな風に日々山根さんと再会し、ずっと一緒に生きてきたのだろうと思ったのです。

最終更新:9/21(水) 16:18

映画ナタリー

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