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<ジャカルタ事件>被告側「捜査は極めてずさん」無罪主張

毎日新聞 9月21日(水)22時53分配信

 ◇東京地裁、裁判員裁判の初公判

 1986年にインドネシアの日本大使館に迫撃弾が撃ち込まれた「ジャカルタ事件」で、殺人未遂罪などに問われた元赤軍派の城崎(しろさき)勉被告(68)に対する裁判員裁判は、21日午後も東京地裁(辻川靖夫裁判長)で初公判が続き、証人尋問が始まった。目撃証言などから被告らが関与したと主張する検察側に対して、弁護側は「事件当時、被告はインドネシアにいなかった」と全面的に争う姿勢を示した。

 検察側は冒頭陳述で、迫撃弾が発射されたホテル8階客室で採取された指紋2点が城崎被告と一致したと主張。現場の客室に宿泊した男と接したホテル従業員が、事件後に国際手配のポスターを見て「城崎被告だった」と述べ、同じ男に車を貸したレンタカー店従業員も捜査当局に示された複数の写真から城崎被告を選んだとした。迫撃弾は金属製で爆薬約600グラムと殺傷力を高めるボルトなどが入っていたという。

 これに対して弁護側は冒頭陳述で「被告は事件当時、インドネシアではなくレバノンにいた」と強調。「当時の捜査は極めてずさんで、指紋が捏造(ねつぞう)された可能性がある。目撃証言は、事件直後と米国での裁判時、今回の裁判の準備段階で内容が変遷している。30年前の事件で、厳密に証拠が検討されなければならない」と訴えた。

 また、11月下旬予定の判決に向けて計23人が出廷する証人尋問が始まり、大使館で警備を担当していた日本人男性が出廷。「迫撃弾が爆発せず、本当に良かった。何のために大使館を狙う必要があったのか」と当時を振り返った。

 起訴内容によると、城崎被告は86年5月14日、何者かと共謀し、ジャカルタ中心部のホテル客室から、日本大使館に向けて迫撃弾2発を発射するなどしたとされる。迫撃弾はいずれも不発でけが人はいなかった。

 城崎被告は大学在学中、最も過激とされた「赤軍派」(69年結成)に参加。金融機関を襲撃した「M作戦」の事件で服役中の77年、日本赤軍が日航機をハイジャックしたダッカ事件で日本政府の「超法規的措置」により釈放され出国した。本人は否定しているが、日本赤軍に合流したとみられていた。【近松仁太郎】

 ◇傍聴の男性「生まれる前の歴史的事件の裁判を見たかった」

 初公判で「全くのでっちあげです」と起訴内容を全面的に否定した城崎勉被告は、メモを取ったり、腕組みをしたりしながら、証人尋問などのやりとりを見つめた。

 新聞記事を読んで興味を持ち、傍聴したという東京都の男性(25)は「自分が生まれる前の歴史的事件の裁判を見たかった」。記憶が不確かなためか、証人が答えられなかった質問もあり「30年前の事件はやはり難しい。長期で負担も大きく、裁判員裁判にすべきだったのか疑問も感じた」と語った。

 かつて城崎被告と同じ赤軍派で活動した植垣康博さん(67)は最前列で傍聴した。顔を見るのは、愛知県内のアジトで会って以来45年ぶりだった。休廷に入る際に目が合い、右手を軽く上げると、無表情だった被告は笑顔を見せた。「長期勾留されているが悲壮感は感じず淡々としているように見えた。融通の利かなそうな表情は昔のままだ」と語った。

 1977年のダッカ事件当時、勾留されていた植垣さんは、城崎被告と同様に釈放要求の対象になったが拒否した。被告に対し「あの時なぜ出国を決意したのか。具体的に語ってほしい」と話した。【伊藤直孝、近松仁太郎】

最終更新:9月21日(水)22時53分

毎日新聞