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献身の人生! 日本のナイチンゲール「萩原タケ」の偉業

TOKYO FM+ 9/21(水) 11:50配信

皆さんは「人の役にたった世界の偉人」というと誰を思い浮かべますか? もちろんたくさんの偉人がいると思いますが、「ナイチンゲール」という人も多いのではないでしょうか。献身的にけが人や病人を看護した白衣の天使。自分の具合が悪いとき、看護師さんは本当に天使にうつります。今回は彼女のような活躍をした、あるひとりの日本人女性をご紹介します。

萩原タケという女性をご存知でしょうか。
明治に生まれ、世界で看護師として活躍した女性……ときに彼女はこう呼ばれます。
「日本のナイチンゲール」

タケは貧しい家に生まれ、苦労の多い子ども時代でした。
ですが、不遇の時代を持ち前の忍耐力と向上心で乗り越えます。

12歳のときに看護師を志し、20歳で日本赤十字社の看護学生となったタケ。
包帯やガーゼの交換が得意で、戦時中には怪我をした兵士ひとりひとりの好みまで覚えていて、とても優しく接したそうです。
兵士たちに愛され、その素質を院長に見込まれてあっという間に婦長に就任。
そしてなんと、皇室に同行してヨーロッパへと渡ることになるのです。

ヨーロッパ行きは、彼女の人生に大きな影響を与えました。
日本とは違い、活き活きと仕事をし、発言をする女性たち……。
「女性が女性らしさを思いきり発揮し、誇りをもって生きられる世界がここにある」
この世界を日本でも必ず作り上げよう、そう決心したのです。

そしてタケは、このヨーロッパ滞在中に最も尊敬するある人物に会いに行きます。
ナイチンゲールです。
このとき、ナイチンゲールは90歳、病気のため会うことは叶いませんでした。
ですが、伝言として、こんな言葉をもらったのだそうです。

「はるばる東洋の国から来られた方にお会いできず申し訳ない。看護に従事する者は、誠実と同情に富むことが必要です。国家と人道のために尽くされるよう」

この言葉を胸に、タケは日本へ戻ります。
帰国後、日赤で看護婦のトップである監督に。後輩の育成にも尽力します。
出兵に伴い世界で看護を続け、さらに出会った孤児たちを日本に受け入れるのです。
大正9年、タケは世界初の「ナイチンゲール記章」を受賞。
彼女が養成した看護師の数は3千人を超えるほどでした。

献身することに生涯をかけた、萩原タケ。
ナイチンゲールから渡されたバトンを、日本の看護界へしっかりとつないだ偉大な人物です。

(TOKYO FMの番組「シンクロのシティ」2016年9月20日放送より)

文/岡本清香

最終更新:9/21(水) 11:50

TOKYO FM+