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「グリコちょうだい」息絶えた弟の姿、満州から引き揚げ「終戦で始まった戦争」訴える

西日本新聞 9月21日(水)11時9分配信

 キャラメル、牛乳、酒…。福岡県筑紫野市の八尋一郎さん(83)宅の仏壇は、9月になると供え物でにぎやかになる。71年前の満州(現中国東北部)で、1週間のうちに相次いで亡くなった家族3人の命日が巡り来るからだ。思い返されるのは「グリコちょうだい」とつぶやきながら息絶えた弟の姿。そして、引き揚げる逃避行中に人間性を失っていった自身の振る舞い。「終戦で始まった戦争もあったことを忘れないでほしい」。八尋さんは訴える。

【画像】引き揚げ船に乗る直前の八尋さん=1946年秋

グリコは満州でも子どもにとって憧れのキャラメルだった

 父はソ連国境に近い鶴岡にあった炭鉱の社員で、70歳の祖母を含め家族8人で暮らしていた。1945年8月9日のソ連軍侵攻と同時に父は出征。中学1年だった自身も学徒兵として歩兵銃を渡され、警備に当たった。家を追われた祖母と母、弟妹4人と合流したのは終戦前日の14日。翌日の玉音放送は記憶にない。

 飛行場の格納庫にむしろを敷いて他の家族と過ごす中、コレラや発疹チフスが発生。祖母が9月8日、3歳の弟が11日、7カ月の妹は泣く力もなく15日に亡くなった。グリコは満州でも子どもにとって憧れのキャラメルだった。弟はかつて将校にもらったグリコを最期まで恋しがった。

「今でも落ちこむ」

 移動先の街で、除隊になった父と会えた。生きるために倉庫の薬を盗んで売り、畑荒らしもやった。

 引き揚げ者から死者が出ると、埋葬する穴掘りもした。1穴5円。凍土のためシャベルで30センチ掘るのがやっと。あるとき、赤ん坊の遺体をなかなか離そうとしない母親がいた。極寒で震えながら待っていた八尋さんは「早く入れろ」と心の中で叫んだ。「あのころの身勝手さ、浅ましさを思うと、今でも落ちこむ」

「戦争は戦前から全部ひと続きで、8月15日の後も続いていた」

 46年秋、家族5人で長崎県の佐世保に引き揚げ、佐賀県唐津市を経て、父の古里だった筑紫野市で暮らした。だが、父は間もなく結核で死去。八尋さんは奨学金で九州大法学部に通い、地元のフクニチ新聞社の記者になった。退社後は59歳から10年間、筑紫野市の九州産業高で道徳を教え、平和教育にも携わった。

 終戦から71年、危惧するのは、引き揚げが若い世代に知られていないこと。それに、沖縄戦、福岡大空襲、原爆など「出来事ごとにしか語られない」ことも心配だ。「戦争は戦前から全部ひと続きで、8月15日の後も続いていた。戦争体験の風化といわれるが、子や孫、生徒たちへの私たちの伝え方に問題があったのかもしれない」。自戒を胸に仏壇に手を合わせる。

西日本新聞社

最終更新:9月21日(水)11時9分

西日本新聞

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