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困ったら原点へ DeNA三浦、25年の現役生活の支えとなった恩師の金言

Full-Count 9/21(水) 10:35配信

礎となった名伯楽・小谷氏の教え、恩師の最初の助言を守り抜いた現役生活

 ハマの番長こと、横浜・三浦大輔投手兼任コーチが現役引退を発表した。 20日の記者会見では涙を浮かべる場面もあり、「25年間、横浜の街で育てられて、たくさんの方に応援していただき、ここまでやってくることができました。いろんな思いがありますけど、感謝の気持ちでいっぱいです」と心境を明かした。

【画像】引退会見で涙を浮かべる三浦大輔

 三浦は苦しく、長い練習をひたすら繰り返すことができる選手の1人だった。ドームを本拠地としない横浜スタジアムでは、真夏に灼熱の太陽が照りつける中、投手はランニングを行う。それを率先してやっていた。開場前にはスタジアムの階段を上り下りしたり、時にはスタジアムを飛び出して、気分転換に横浜市内を走り抜けた。投手の基本は走ること。それは最後まで忘れなかった。時間があれば、走っていた。

 25年前の出会いがなければ、ここまでやって来られなかったかもしれない。1991年、奈良・ 高田商からドラフト6位で前身の大洋ホエールズに入団。1年目から1軍のマウンドに立ったが、特にボールが速いわけでもなく、変化球がずば抜けていたわけでもなかった。

 出身の奈良県内では力のある投手として知られていた。三浦も自信を持ってプロに入ってきたが、自分の周りはもっと球の速い投手、もっと体の大きな投手だらけだった。当時の投手コーチは現在、ロッテで2軍投手コーチを務めている小谷正勝氏。名伯楽の言葉が三浦の原点だった。

 小谷コーチは三浦だけではないが、高校から入団してきた投手に「お前らが活躍するにはここにいる誰よりも練習をしないといけないんだよ」と伝えている。その言葉に聞く耳を持ったものは成功をつかんでいる。ヤクルトの五十嵐亮太や巨人の内海哲也、高卒ではないが育成から這い上がった山口鉄也らも同じだ。三浦の礎は、入団間もない頃から走り続けて鍛え上げた下半身にある。

小谷氏と作り上げた投球フォームとコントロール

 高校までは”お山の大将”でやってきた三浦だったが、そうプロは甘いものではなかった。小谷氏から現実を突きつけられた。「オマエさんは、何しにプロに来たのか?」。目いっぱいの力で速いボールを投げようとする若者に静かに言った。大魔神・佐々木主浩にはフォークを教え、盛田幸妃には理にかなったフォームを指導し、球界を代表するリリーバーに育てた小谷コーチは、三浦の指導にも時間をかけていた。三浦も必死についていった。

 三浦には球速や力では勝てないと判断し、「コントロールを磨きなさい」と指導を開始した。ケガがちだった体(特に首)は自分に合った投球フォームで投げてないからと見極め、改良させた。リリースに入る前にしっかりと上体を起こして、主に狙いを定めるための間を作るために、足を2度ためるように上げるフォームを作りあげた。『トントン』とためるうちに無駄な力が抜け、体への負担は減った。コントロールも次第によくなった。三浦の代名詞であるコントロールと投球フォームの定着は小谷氏の指導の賜物だった。時間があれば、三浦は小谷氏の自宅などに行って、野球のアドバイスを受けてきた。

 自分が勝つために、長く野球をやるためにはどうすべきか。走り込んで下半身を作ること。コントロールを磨くこと。自分の持ち味は何なのかを考え、 三浦の出した答えは18歳の時から変わらなかった。

 25年前から師匠と慕う恩師の最初のアドバイスをずっと守り抜いた現役生活だったといっていい。恩師ほど偉大なコーチになれるかは分からない。だが、これまで背中で見せてきたように、若手を育成し、第2の三浦が誕生することを待ちたい。

フルカウント編集部●文 text by Full-Count

最終更新:9/21(水) 10:48

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