ここから本文です

イチローメジャー通算3000安打達成! イチローがブレークした「1994年」

ZUU online 9月22日(木)12時10分配信

日本が誇る野球界のスーパースター・イチロー選手。偉大な記録を残し続けてきた名選手も、気づけば42歳の大ベテラン選手だ。

そんな偉大な大ベテランが今年メジャーリーグで、もう1つの偉大な大記録を見事に打ち立てた。今回の記録達成は、日本はもちろん、メジャー本拠地のアメリカでも多くの人の驚嘆と尊敬の念を集めている。

そんなイチロー選手、プロになった当初からスーパースターだったわけではない。イチロー選手もいろいろな道を乗り越えてつかんだ栄光なのだ。

今回打ち立てられた大記録の裏には、どのようなイチロー選手の野球人生の歩みや時代背景があるのだろうか。記録樹立の様子とあわせて追ってみよう。

■イチロー選手のメジャー通算3000本安打、そのすごさ

米大リーグ、マイアミ・マーリンズのイチロー選手は2016年8月7日、米コロラド州デンバーで行われたロッキーズ戦に6番・中堅で先発出場、7回に右翼フェンス直撃の三塁打を放ち、米大リーグ通算3000本安打を達成した。

3000本安打は米大リーグ史上30人目の達成であり、デビュー16年目での達成は、メジャー最多の通算4256安打を記録したピート・ローズ氏と並ぶ最速記録だ。

長い米大リーグの歴史の中で、3000本安打を達成した選手はイチローを含め30人。4256安打のピート・ローズ氏を筆頭に、首位打者を12回獲得した「球聖」タイ・カップ氏、755本塁打を放ったハンク・アーロン氏が続く。

しかし、米大リーグ記録の762本塁打を放ったバリー・ボンズ氏は2935安打、米国の野球史に光り輝く記憶を残した国民的英雄ベーブ・ルース氏は2873安打、56試合連続安打の記録を持つジョー・ディマジオ氏は2214安打にとどまっており、『3000本安打』がいかに高いハードルなのかが分かる。

■日本球界から米大リーグまでの道のり

イチロー選手は、1991年にドラフト4位指名でオリックスに入団。当初の選手登録名は、本名の「鈴木一朗」だった。入団2年目には開幕1軍に入ったが、打率は1割台と低迷。夏場を前に2軍降格となる。

この2軍降格時に必死の努力を重ね、シーズン途中から46試合連続安打をマーク。規定打席には届いていないが最終的には打率.371というハイアベレージを残し、飛躍への準備を整えることとなった。

入団3年目の1994年。選手登録名を「イチロー」に変更し、旋風を巻き起こす。1番打者として1軍定着を果たすと、破竹の勢いで安打を量産。

シーズン130試合中、無安打だった試合はわずかに13試合、116試合目の時点で当時の安打記録だった藤村富美男氏の191安打を更新。さらには前人未到のシーズン200安打も達成、最終的に『210』まで安打記録を伸ばした。

その後の活躍は野球人としてまさに異次元。1994年からメジャーに移籍する前年の2000年まで7年連続で首位打者を獲得し、最多安打タイトルも1994年から1998年の間5年連続で獲得。他にも、打点王や盗塁王といったタイトルを多数獲得した。

飛躍の3年目、1994年からの7年間で放った安打は合計1242本。平均すると年間177本という、まさに驚異的ハイペースで安打を重ねたイチロー選手。

通算1000安打までに要した試合数は757試合。これは、今もなお破られることのない1000安打到達の日本最速記録である。

そして2000年、自己最高でありプロ野球史上歴代2位となる打率.387を記録。7年連続7度目の首位打者も獲得し、6年連続の最多敬遠数、2年連続であり5度目となる最高出塁率、さらには7年連続7度目のベストナイン&ゴールデングラブを受賞するという記録を残し、イチロー選手はメジャー挑戦を表明した。

■ブレークの1994年、日本の状況は?

イチロー選手が野球人としてブレークを果たした1994年は、日本の経済状況や世の中の社会事情もめまぐるしい変化の年だったようだ。

株価とドル円為替には強い相関関係があると言われており、円安が進めば日本の企業は業績を上げやすく、株価上昇の後押しをする傾向が強い。

しかし1994年は、史上初めてドル円為替が100円を割り込む円高の事態となった。しばらく100円前後で展開が続いたが、これを発端としてついには翌年1ドル79円台まで高騰させてしまう。

景気の後退を主軸として、与野党入り乱れながら政治活動も大転換期を迎える。非自民連立の細川政権が総辞職した後、羽田内閣を経て自民・社会党大連立の村山内閣が発足。自民党と社会党が連立を組むことは、戦後初の出来事だった。

社会的な事件として大きな出来事だったのが、オウム真理教による松本サリン事件。戦時状態でない国において、一般市民に対して実行された初めての化学兵器によるテロ事件だった。この流れが翌年の大惨事、地下鉄サリン事件へと繋がっていく。

悪いニュースばかりではない。この年には日本人初の女性宇宙飛行士、向井千秋さんを乗せたスペースシャトルが宇宙へと打ち上げられた。また、大江健三郎氏が日本文学史上2人目となる、ノーベル文学賞を受賞している。

■強い日本人を世界にアピールしてくれたイチロー選手

決して良い流れとは言えなかった1990年代の日本。経済的にも社会的にも、どちらかというと暗いニュースの方が目立っていたようにも思える。

そんな中、日本のプロ野球界で史上最高と言われる記録を打ち立て米大リーグに挑戦したイチロー選手は、私たち日本人にとって気持ちを輝かせてくれる存在となった。

現在でも、なお記録を更新し続けてくれているイチロー選手。これからも若い人から年配の人まで多くの人に、勇気を与え続ける存在であり続けるだろう。(ZUU online 編集部)

最終更新:9月22日(木)12時10分

ZUU online