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若者の情熱が生み出した「うみぞら映画祭」 開催への道支えた“淡路ネットワーク” 兵庫

産経新聞 9月22日(木)7時55分配信

 一人の若者の夢が形になっていく-。洲本市の大浜海水浴場などで17~19日に開催された「うみぞら映画祭」は、取材する側にとって同時進行のドラマを見ているようだった。

 洲本市出身の映像ディレクターで映像制作会社「海空」(京都市)代表の大継康高さん(34)。初めて話を聞いたのは昨春だった。「大浜にスクリーンを設置して、波の音をBGMに海の映画を観賞する。淡路の古い銭湯を舞台にした映画も撮りたい。主演は笹野高史さんにお願いする」。世界でもあまり例がない「海上映画祭」。企画しているのは大手映画制作会社や行政ではない。テレビ番組の制作経験はあるが、映画を作ったこともない無名の33歳の若者だった。

 だが、話を聞いていると不思議と実現できそうな気もした。自分の仕事を誇張せずに振り返り、計画を具体的に語っていく。穏やかだが人を引きつける語り口と、淡路島を愛する熱量に引きずり込まれたのかもしれない。安全面を確保し、海上保安庁や県に許可を得る必要があり、そこがクリアできれば、記事にしたいとお願いして経過を教えてもらうことにした。

 正直なところ、実現性は五分五分と思っていた。だが、彼には地元の仲間がいた。クレーン車を用意したのはボーイスカウトの先輩、ショベルカーを動かすのは幼稚園の同級生…。淡路青年会議所や洲本オリオンなど多くの協力者が現れて計画が練り上げられていった。洲本高校卒業後に島を離れた大継さんだが、「このプロジェクトをやっていると、本当に淡路島のいろんな人とつながることができる」と“淡路ネットワーク”の広がりを楽しんでいた。ネックだった海保の許可を得て実現性はグッと増した。

 次に驚かされたのは出演を快諾したベテラン俳優の笹野高史さん(68)だった。大継さんの叔父と笹野さんが幼なじみという縁もあり、スケジュールを割いてくれたという。笹野さんは「子供のころ遊んでた友達の甥(おい)っ子が、生まれ育った所で映画を撮影する。長く生きてるといろいろあるんですねえ。巡り巡った縁、ぜひやらなきゃという義務感です」と映画「あったまら銭湯」に主演した。

 大浜海水浴場で行った舞台あいさつでは「(オファーに)淡路の夢を繰り返し見ていたので、とうとう来たかと思いました。子供のころはこのあたりで暮らし、11歳で母を亡くした場所。映画が大好きだった母が、あのへんで見てくれていると信じています。思い出が多すぎるここで撮らせてくれた大継さんに感謝しています」と語った。笹野さんを動かしたのもまた、故郷への強い思いだった。

 ◇大継さん「来年は梅雨の前にできれば…」

 大きな資本や組織もない若者の情熱が周囲を巻き込み、形になったのが今回の「うみぞら映画祭」だった。だが、映画祭が定着するかどうかは今後次第。大継さんによると、雨の影響もあって3日間の観客数は約3千人だったが、映画祭としては大きな赤字にはならない見込みという。来年以降について「今回は台風にビクビクしての開催となったため、来年は梅雨の前の4~5月にできれば。一度開催したことで皆さんにも理解してもらえたと思うし、協力してもらえるのでは」と前向きだ。

 今後は企業や行政などのバックアップがどこまで広がるか。若者の情熱を、映画祭を、支える人たちがたくさん現れれば洲本市の目玉イベントとして育っていく可能性はある。(中野謙二)

最終更新:9月22日(木)7時55分

産経新聞