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もんじゅ 夢の原子炉、迷走20年

産経新聞 9月22日(木)7時55分配信

 1兆円超が投じられながら、「無用の長物」と酷評されてきたもんじゅ。なぜ20年以上も成果が出なかったのか。

 〈エネルギー事情 様変わり〉〈資源小国・日本に魅力〉。平成6年4月5日に初臨界を果たした際、新聞各紙には華やかな見出しが躍った。もんじゅの設計研究に携わった福井大付属国際原子力工学研究所の竹田敏一特任教授は、「日本独自の技術で高速炉をつくるという大きな夢と誇りがあった」と振り返る。

 ■ナトリウム漏れ

 もんじゅへの期待が崩れたのは、7年12月に起きたナトリウム漏れ事故だ。高速炉に使われるナトリウムは熱の伝導効率が高く、核分裂反応を活発に保つという利点がある。ただ空気や水と触れると激しく反応し、事故では火災が生じた。

 事故現場を撮影したビデオには、どろどろになったナトリウムが写っていたが、公開されたビデオではその場面を意図的に隠して発表。大きな批判を浴び、記者会見で矢面に立たされた責任者が自殺に追い込まれた。

 当時の関係者は「高度な技術を外部に漏らさない情報管理意識が強かった」と話す。

 ■組織ずさん体質

 もんじゅを担った動力炉・核燃料開発事業団は、後に核燃料サイクル開発機構、日本原子力研究開発機構と転々とし、組織として足元が定まらないまま、もんじゅの停止が続いた。

 24年に延べ約1万件の機器の点検漏れが発覚したことで、組織のずさんな体質が再び問題となる。原子力規制委員会は翌年、「こういう組織の存続を許していること自体が本当に問題だ」として、運転再開停止命令を出した。27年には機器の重要度分類が誤っているという初歩的なミスも判明。監視カメラ180基のうち約3分の1を故障したまま放置していた問題も出た。

 高速炉に染みついた組織の悪弊を断ち切れず、迷走に次ぐ迷走を招いた。「何度も議論してきたが、一向に問題の解決が達成されない」(田中俊一委員長)。そう判断した規制委の昨年11月の「抜本的見直し勧告」が、政府内に廃炉論の空気を醸成させた。

最終更新:9月22日(木)7時55分

産経新聞