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PL学園野球部元監督・中村順司さん、初出場初V…目に浮かぶ泥んこ笑顔

産経新聞 9月22日(木)17時0分配信

 【話の肖像画】PL学園野球部元監督・中村順司さん

 改めてPL学園(大阪)の監督時代を振り返ってみると、監督として初出場で初優勝した昭和56年春の甲子園のことが思い起こされます。吉村(禎章、元巨人)が中心選手だったチームで、印旛(千葉)との決勝を前に「泥んこになって暴れ回ってこい」と声を掛けたら、選手たちがグラウンドの土を顔につけて試合前から泥んこになった。試合は0-1の九回に2点を奪って劇的なサヨナラ勝ちを収めました。吉村たちの泥んこの笑顔が今でもまぶたに浮かびます。

 余談ですが、小学生の頃に手相診断で「34歳のときに人生が大きく変わるよ」と言われたんですが、甲子園で初めて優勝したのはまさに34歳のときだった。本当に人生が変わりました。

 〈中村監督がPL学園で指揮をとったすべての学年から最低1人はプロの世界へ送り込んでいる。投手からスラッガーまで多士済々。プロに太いパイプがあるわけでもない〉

 教え子のプロ入りに関して、私は何もしていませんよ。選手が目標に向かって努力したからこそ、プロの世界にたどり着くことができた。選手たちには高校で燃え尽きてしまうのではなく、大好きな野球に長く携わってもらいたいと願っていました。そのため、故障を起こしやすい“猫背”でのプレーなどはよく注意しましたね。桑田(真澄、元巨人など)や清原(和博、元西武など)、立浪(和義、元中日)が20年以上、厳しいプロの世界で活躍し、現役では松井(稼頭央、楽天)が40歳、福留(孝介、阪神)が39歳の今も元気にプレーできているのに、私が貢献できたのであればうれしいですね。

 〈PL学園監督として栄光の日々を送ったが、やり直したいと思うこともある〉

 立浪が主将だった62年に甲子園春夏連覇を果たして以降、平成4年春に戻るまで甲子園から遠ざかることになった。桑田と清原がいた昭和58年から60年、そして立浪の時代と完成度の高いチームが続いたこともあって、私の指導が雑になってしまった。「言わなくてもそれぐらいは分かるだろう」と勝手に判断してしまった。入来(祐作、元巨人など)や坪井(智哉、元阪神など)といった力のある選手もいただけに、甲子園へ連れて行けなかったことは悔しく思っています。

 〈OBらが集まると「自分たちこそが最強世代」という話題で盛り上がるというPL学園野球部。「黄金時代」を率いた指揮官が選ぶ最強世代はやはり…〉

 1つだけ選ぶとすれば、桑田と清原が3年生だった60年ということになるでしょうか。3年生だけで5人がプロに行ったんですからね。立浪が3年生だった62年はエース級の投手が複数いたので、3連戦ということであれば互角の勝負をしたかもしれません。ただ、62年のチームを育てたのは60年のチームだった。60年春の甲子園準決勝で敗れた桑田たちを見た立浪や片岡(篤史、元日本ハムなど)は「あれだけすごい先輩たちが、あれだけ練習しても負けるんだ」と衝撃を受け、「俺たちは先輩たち以上に練習しないと勝てないぞ」と奮い立ったそうです。立浪たちは納得しないかもしれませんが、「先輩を立てる」というのもPL学園の伝統でもありますし、60年のチームに軍配を上げておきましょう。(聞き手 奥山次郎)

最終更新:9月22日(木)17時0分

産経新聞

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