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“こち亀”で人気の「亀有」は、芸人とお灸の町だった?

TOKYO FM+ 9/22(木) 11:39配信

以前、東京・亀有の地名についてご紹介しましたが、もともとは亀に似た地形だったため「亀を成す」→「亀成し」と呼ばれていたのですが、いつの間にか漢字が「無い」を表わす「亀無」に。亀は縁起物の生き物なので無くては困る、というところから「亀有」に変わったという話でした。そんなユニークな亀有。江戸時代以降は、いったいどんな町だったのでしょうか。

下町情緒あふれる庶民の町、東京・亀有。
この町が現在のように盛り上がり始めたのは近年のこと。
大正から昭和にかけてでした。
二次産業が発達し、大きな工場が次々と建てられた大正末期。
昭和の初めには亀有銀座通りができ、飲食店や映画館が立ち並ぶようになります。

戦争に入り、大空襲で浅草あたりが焼けてしまうと、多くの芸人たちが亀有に移り住みました。
映画館がたくさんある街並みは、どこか浅草に似ていたのでしょうか、彼らには住みやすい環境だったようです。
北口には芸能荘というアパートがあり、常に40人ほどの芸人さんが住んでいたとか。

ほとんどがまだ売れない芸人でしたが、のちにスターになった人もたくさんいます。
狭い部屋に大勢で住み、近くの居酒屋で「もっきり」というお酒を飲みながら、わいわいと過ごしていたそうです。
亀有が「芸人の町」と言われることがあるのは、この「芸能荘」のためなんですね。

もうひとつの亀有の顔。
それは「お灸」です。
亀有には江戸時代から続く有名なお灸屋さんがあり、大正から昭和にかけ、亀有駅で降りる人々のほとんどが、お灸目当てだったとか。
中でも「庄兵衛さんの灸」と呼ばれるところは腕が確かで、駅前には、このお灸屋さんに運ぶための人力車が呼び込み合戦を行っていたそうですよ。

芸人の町であり、お灸の町だった亀有。
今では象徴として、マンガ「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の両さんもあちらこちらにいます。
庶民が愛する、庶民のための町。
この秋、「亀有散歩」に出かけてみてはいかがでしょうか。

(TOKYO FMの番組「シンクロのシティ」2016年9月21日放送より)

文/岡本清香

最終更新:9/22(木) 11:39

TOKYO FM+