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“船鉄交換”で貿易史上に金字塔 労働争議と恐慌の末に 松方幸次郎(下)

THE PAGE 9/30(金) 17:00配信 (有料記事)

 欧州大戦を機に、ストックボートで巨万の富を手中に収め、美術品のコレクションを増やしていった松方幸次郎でしたが、造船には欠かせない鉄不足に直面します。松方はその危機をどう立ち向かったのでしょうか?

 その後、金融恐慌と労働争議という荒波が松方に襲い掛かります。華やかに駆け抜けた投資家の人生を市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。


  鉄鋼飢饉に新しい発想で立ち向かう

 近代日本が初めて直面した鉄鋼飢饉に松方幸次郎・金子直吉の2人のブルが立ち向かう。鈴木商店の大番頭金子直吉は親密な後藤新平内務大臣を通じて政府に働きかけ、外務省もアメリカ政府と交渉を重ねるが、らちが明かない。それが、突如、史上例をみない、船舶と鉄鋼を交換する「船鉄鋼管協約」として実を結ぶ。大正7年4月のことだ。この船鉄交換は金子が主導したとはいえ、正しくは金子・松方の合作と呼ぶにふさわしい。その一部始終とは……。

 金子とモリス駐日アメリカ大使とのやり取りを聞いてみよう。

 金子:「モリス閣下は日本が連合国の一貫であり、ドイツ帝国の東洋進出へ基地、青島を陥落させたのはご存知のことと思う」

 モリス:「貴国の善戦と、有力な連合国の一員であることには、もとより敬意を払い、大使として貴国に駐在することを栄光と思う」

 金子:「日本は、戦いに最も必要な造船の能力を持ちながら、鉄材不足に悩まされてきた。それもこれも、貴国が資材供給の義務を忘れ、果たさぬからである。私は責任ある代表者として、その履行を強く要求する権利がある」

 そして、金子の放った次の一言が決め手となる。

 金子:「日本が鉄を一方的に輸入するというものではない。あなたの国から取りあえず鉄を3トン下さい。そのうち2トンは船としてアメリカへお返しする。あとの1トンは日本のために使わせてもらいます」

 モリス:「本国がどう考えるか、貴君の提案を打電してみよう」

 このあと、多少の曲折はあったが、歴史に残る「日米船鉄交換」は成立する。金子、松方の貿易史上にも残る金字塔として今日に語り継がれる。本文:4,123文字 この記事の続きをお読みいただくには、THE PAGE プラスの購入が必要です。

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最終更新:9/30(金) 17:00

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