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【バスケット】怒り心頭の川淵三郎氏でBリーグ誕生…初代チェアマン手記

スポーツ報知 9月23日(金)11時2分配信

◆Bリーグ・B1開幕戦 A東京80―75琉球(22日、東京・代々木競技場第一体育館)

 Bリーグ初代チェアマンの川淵三郎氏(79)が開幕戦を観戦し、スポーツ報知に独占手記を寄せた。14年11月に国際バスケットボール連盟(FIBA)から男女全カテゴリーの国際試合出場停止処分が科せられる異常事態の中、強力なリーダーシップで男子2リーグを統合し、Bリーグを誕生させた原動力は「怒り」だった。

 Bリーグ開幕の瞬間に立ち会ったわけだけど、一番心配だったのは大河チェマンの開会宣言。プレッシャーだっただろうな(笑い)。(93年の)Jリーグ開幕で宣言した言葉は、今でも頭から離れない。後々、いろんな場面で放送されると思ってたから30秒にして、しかも前半、後半で分けられるように考えたんだよ。

 2年以上前、日本代表監督をした小浜(元孝)さんが訪ねてきた。「2つのリーグを1つにしたい」と。当時はバスケ界の人間じゃないし「そう言われても」と思ったけど、知っていたbj関係者2人と、(当時日本協会会長の)深津(泰彦)さんに会った。事前に3人から文書をもらい、問題点は判断していた。ただ、そのときの僕に決める権限はない。2時間の話し合いを3回やって、3人ともしぶしぶ統合を了解していた。

 その後、(14年)7月には両リーグのメンバーから委員会を作って会議もしていたから、解決すると思っていた。でも10月中旬、夜中に深津さんから「話がまとまらないんで会長を辞めます」と電話があった。「えっ、なんで? もっと独裁者になってガンガンやらなきゃダメ」と言ったけど、次の日に辞めちゃった。

 それで怒り心頭になったね。FIBAから制裁の可能性もあった中、男子代表は(76年モントリオール五輪以降)40年近く出てないけど、女子はリオ五輪予選突破のチャンスがあった。誰も選手のことをちっとも考えないし、話に出たこともなかった。

 その頃、FIBA幹部が日本の調査に来ていて、僕も会うことになった。「制裁した方がいいか?」と聞かれたから、「そうしないと日本協会は変わらない」と伝えた。これはひとつの意見で、僕が言ったから処分したんじゃないだろうけど、結局、FIBAから頼まれて、翌年1月に(特別チームの)タスクフォースのチェアマンを引き受けた。

 あれから1年8か月。みなさんが協力してスポンサーも付いて、よくここまで来られた。Bリーグが市場でどう受け入れられるか。最初は全く予想できなかった。ほとんどのテレビ局が興味を示さなかった。でも、(ソフトバンクグループの)孫(正義社長)さんに代表されるように「川淵がやるなら悪い方向にいかない」という印象をもってくれて、予想額を大きく上回る契約ができた。

 Bリーグを発足させて経営に関わることは多少口出ししたけど、例えばロゴを決定する際なんか、一切ノータッチ。もう僕のセンスで決める時代じゃない。大河チェアマンを始め、いい人材が集まった。安心してBリーグの未来を任せられる。

 ◆川淵 三郎(かわぶち・さぶろう)1936年12月3日、大阪・高石市生まれ。79歳。三国丘高時代にサッカーを始め、早大から古河電工へ。早大時代に日本代表に選ばれ、64年東京五輪などに出場。日本代表監督を経て、91年にJリーグのチェアマン(理事長)に就任。2002年に日本サッカー協会会長に就任し、現在は最高顧問。バスケットボールでは15年に日本協会会長となり、現在は同協会エグゼクティブアドバイザーで、Bリーグは名誉会員。

最終更新:9月23日(金)11時3分

スポーツ報知

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

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昔は街の広場で、現代はYouTubeで。歴史を通じ、公開処刑には必ず人だかりがつきものでした。人が処刑というものを、恐ろしく不快に感じながらも、つい気になって見てしまうのはなぜか。フランシス・ラーソンが人間と公開処刑の歴史、中でも斬首刑に焦点を当てて解説したこのトークは、気分の良い内容ばかりではありませんが、同時に興味をそそること間違いないでしょう。