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日本の鉄道史に残る改軌の偉業 北海道もチャンスかもしれない

ITmedia ビジネスオンライン 9月23日(金)6時47分配信

●日本の鉄道の偉業は新幹線と連結器

 日本の鉄道史を振り返ると、今では考えられないような大胆な改革をいくつか実施している。その最たる成果が東海道新幹線だ。自動車、航空機が発達し、もう鉄道の役割は終わったという当時の常識を覆した。日本だけではない。今日も続く海外の高速鉄道建設は、東海道新幹線の成功がなかったら、そしてフランスが奮起してTGVを作らなければ生まれなかった。

【山形新幹線「つばさ」は、奥羽本線の福島〜山形間を改軌して実現】

 東海道新幹線は東海道本線の軌間1067ミリメートルより広い1435ミリメートルで建設された。1435ミリメートルは世界で採用例が多く「標準軌」とも呼ばれている。世界の高速鉄道のきっかけとなっただけではなく、東海道本線の二重化を標準軌で実施したことに意味がある。日本の官営鉄道が1067ミリメートルを採用した理由は、用地が少なく建設費を削減できる、曲線半径を小さくでき山岳区間に向いている、などだった。しかし、鉄道の開業直後から「輸送力や安定した高速運転のために、やっぱり標準軌間にしたほうがいいのではないか」という「改軌論」があった。しかし、改軌派は「現状維持で新路線重視」という政府を翻意できなかった。全国の新幹線建設によって、日本の鉄道はようやく改軌が進ちょくしたとも言える。

 東海道新幹線が成功するもっと前に、日本の鉄道が世界の鉄道関係者を驚かせた事例がある。官営鉄道の全車両の連結器交換だ。官営鉄道が運行する機関車、客車、貨車、合わせて5万両以上の車両について、一晩で新型連結器に交換した。本州では1925年7月17日、九州は3日後の7月20日に実施されたという。この話は、私が小学生の頃の社会科の教科書にで紹介されていたと記憶している。ちなみに北海道は鉄道建設時代から自動連結器が採用されており、四国も本州と線路がつながっていないため、実施は遅かった。

 約5万両、両端だから約10万個の危険なねじ式連結器を、現在も使われているようなナックル型の自動連結器に交換した。その作業を本州も九州もたった1日で実施した。ただし準備は5年間かけた。車両点検などで入庫したとき、新型連結器をあらかじめ車両の床下に搭載しておいた。それを一斉に交換した。

 新幹線は建設時から成功を疑問視されていた。海軍小説で知られる鉄道好き作家の阿川弘之氏でさえ、新幹線を「ピラミッド、万里の長城、戦艦大和」に並ぶ世界の無用の長物と言った。連結器交換は安全面で必要だとはいえ、1日で全交換という仕事は、現在なら「無理だ」と笑われただろう。しかし、先人たちはやってのけた。

●伊勢湾台風と近鉄名古屋線の改軌

 近鉄名古屋線と名古屋鉄道が直通運転した時代がある。1950年から1952年までの約2年間だ。団体臨時列車限定とはいえ、近鉄電車は名鉄の犬山方面や豊橋方面に乗り入れた。名鉄電車は伊勢中川や養老へ乗り入れた。参詣や行楽に便利だったはずだ。現在も近鉄と名鉄は名古屋駅で隣同士であり、リニア中央新幹線の開業を機に駅を改良して、互いに乗り換えしやすくする構想がある。それでも過去に直通運転していたとは驚きだ。今では考えられない。なぜなら、現在は不可能だからだ。線路の規格が違う。

 直通運転も驚きだけど、今では考えられないような改革はこの後に起きた。近鉄名古屋線の改軌だ。1959年の伊勢湾台風で、近鉄名古屋線は壊滅的な被害を受ける。その復旧工事をきっかけに、近鉄名古屋線全線の線路の規格(軌間)を変更(改軌)した。それまで近鉄名古屋線の軌間は名鉄や国鉄在来線と同じ1067ミリメートルだった。これを近鉄大阪線と同じ1435ミリメートルにした。その結果、名鉄との直通運転はできなくなった。しかし、近鉄の難波(大阪)から近鉄名古屋までの直通が実現した。近鉄は名阪特急を設定し、東海道本線の特急に勝利した。

 近鉄の名阪特急は新幹線に対して所要時間では敵わない。しかし運賃面、大阪中心部乗り入れという点で優位である。また、四日市、津を経由するという意味でも収益に貢献する。近鉄名古屋線の改軌は伊勢湾台風の襲来前に予定されていた。台風被害を受けて、これを好機として改軌工事を繰り上げた。改軌工事はレールの間隔を変更するだけでは済まない。車両も用意する必要があり、駅などの設備も変えなくてはいけない。

 近鉄名古屋線の改軌では、鉄橋の架け替えも実施している。その後、志摩線、鈴鹿線も改軌している。この改軌工事がなかったら、近鉄は現在のような特急ネットワークを作れなかった。大阪から伊勢志摩への直通だけではなく、名古屋からも伊勢志摩へ直通できる。名古屋発の観光特急「しまかぜ」も設定できた。

 今、近鉄名古屋線のように約80キロメートルの路線を改軌しようなんて言い出したら、無理だという声の大合唱、ネット世論でも袋だたきになっただろう。しかし、今から振り返ると、あのときの近鉄名古屋線などの改軌は正しかった。

●改軌された路線は意外と多い

 改軌工事は関東でも行われた。最も知られている事例は京急電鉄と京成電鉄だ。どちらも発足時は路面電車(軌道特許)で発足している。京急電鉄の前身の大師電気鉄道は、川崎〜大森間を1435ミリメートルで開業し、2年後に1372ミリメートルに改軌している。これは品川への建設が決まり、品川で1372ミリメートルの東京市電と直通する目論見があったためだ。このときの改軌工事の距離は短い。しかし、次の改軌は大がかりだ。横浜まで延伸した本線をもう一度1435ミリメートルに戻した。

 大師電気鉄道は京浜電鉄として南へ延伸し、川崎、横浜へ到達する。

 ここで、さらに南へ、三浦半島方面の路線網を持つ湘南電鉄を子会社化、直通運転を決める。ただし湘南電鉄の軌間は1435ミリメートルだった。どちらかに統一しなければ直通できない。そこで京浜電鉄は、品川〜横浜間の22.2キロメートルを1372ミリメートルから1435ミリメートルに改軌した。近鉄名古屋線ほどではないけれど、これも英断だ。

 このとばっちりを受けた鉄道会社が京成電鉄である。京急電鉄と京成電鉄は、都営地下鉄浅草線を介して相互直通運転する計画に参加した。しかしこの時点で京成電鉄の軌間は1372ミリメートルだ。京成上野から京成成田の本線も、青戸から押上までの押上線も同じ。今だったら「軌間が違うから直通なんてできない」で諦めてしまうだろう。

 しかし、ここで京成電鉄は全線改軌を決断する。京急電鉄が2度も改軌していることもあって、都営地下鉄は京急に合わせた1435ミリメートルで建設されることになった。そこで、京成電鉄は、直通路線の押上線をはじめ、本線もすべて1372ミリメートルから1435ミリメートルに改軌した。本線は約60キロメートル、押上線は5.7キロメートル。合わせて支線の金町線、千葉線、関連会社の新京成電鉄まですべて改軌した。総距離は100キロメートルを超える。大変な事業だ。それでも、この改軌のおかげで成田スカイアクセス線の速度は向上し、スカイライナーは時速160キロメールを達成できた。

 このほかにも、軽便鉄道を改軌して普通鉄道になった路線は多い。近年では、奥羽本線や田沢湖線を改軌して、新在直通新幹線「つばさ」「こまち」を走らせた例もある。

●石北本線、根室本線の復旧も改軌したら……

 無理を承知で書くけれども、いま、台風被害で不通になっている石北本線や根室本線を復旧させる際に、新幹線と同じ1435ミリメートルにできたらどんなにいいだろう。

 石北本線を改軌すれば、北海道新幹線の旭川延伸と接続できる。秋田新幹線のような新在直通新幹線方式で、札幌や新函館北斗から網走へ直通できる。いや、新函館北斗〜函館も1435ミリメートルの単線を追加すれば、函館とも結べそうだ。さすがに東京駅まで乗り入れようなどとは言わない。だから改軌工事に当たって電化する必要はない。ディーゼル・ハイブリッドタイプの道内専用車両を投入したい。根室本線、石勝線も同様に非電化で改軌する。函館、札幌から帯広、釧路、根室へミニ新幹線を走らせる。

 貨物列車はどうするか。青函トンネルは貨物列車との併用でスピードを制限された。そして、石北本線、根室本線とも、喫緊の課題は旅客列車ではなく貨物輸送だ。石北本線の玉ねぎ列車は10月上旬まで運休の見込み。荷物の玉ねぎも台風被害で水没したけれど、このまま出荷できなければ、被害を免れた玉ねぎも腐ってしまう。根室本線も同様だ。トラック輸送で補っているとはいえ、帯広貨物ターミナルから札幌への輸送力は半減している。運休が長期化するようなら、十勝港からの船便も検討中という。

 運ばない荷物は腐る。市場は待ってはくれない。東京・大田市場では玉ねぎの高騰と品不足に困惑しており、輸入を検討する動きもあると報じられた。急いで出荷するためにトラック輸送と船便が定着したら、もう荷主は鉄道貨物には戻ってこないかもしれない。国鉄時代、1975年の8日間に渡るスト権ストで、貨物列車の顧客はトラック輸送に移ってしまった。あの悪夢が蘇りそうだ。

 石北本線と根室本線を改軌した場合は、貨物列車も新幹線規格に変更する。懸案の貨物新幹線の誕生だ。こちらは道内にとどめない。東北新幹線に乗り入れて、仙台、大宮付近に積み替えステーションを作り、在来線貨物列車やトラックに積み替える。生鮮食品輸送のスピードアップだ。鮮魚だって輸送可能になる。

 このところ寂しい話題が続いたので、今回は夢物語を綴ってみた。しかし、近鉄名古屋線や京成電鉄の改軌、山形・秋田新幹線も、当時は無理な夢物語だったはず。その夢を叶えてくれたあのころにあって、現在にないもの。それは、鉄道を生かすという展望を持ったリーダーである。夢は夢として捨て置いていい。しかしリーダーシップは必要だ。近年の鉄道を思う1人として、実に嘆かわしい。

(杉山淳一)

最終更新:9月23日(金)6時47分

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