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「正しい野球」教えていくのが野球界への恩返し PL学園野球部元監督・中村順司さん

産経新聞 9月23日(金)17時5分配信

 【話の肖像画】PL学園野球部元監督・中村順司さん

 〈監督として甲子園通算6度の優勝を誇り、歴代2位の通算58勝で、勝率は8割5分3厘に達する。通算50勝以上での最高勝率は将来、更新するのが最も困難な記録の一つといわれる〉

 「最高勝率」は監督である私が作ったのではなく、選手たちが作ってくれたものです。更新が不可能とされる甲子園記録といえば、桑田(真澄、元巨人など)の戦後最多となる通算20勝や、清原(和博、元西武など)が残した13本塁打という歴代最多本塁打でしょう。しかも、彼らは自分たちの力で作った記録であり、選手に作ってもらった私の記録とは次元が違いますよ。

 「記録は破られるためにある」という言葉がありますが、最高勝率は大阪桐蔭の西谷浩一監督(これまでに甲子園優勝4回、通算成績は37勝8敗で勝率8割2分2厘)が抜くのではないでしょうか。

 〈平成10年春の甲子園準決勝で松坂大輔(ソフトバンク)を擁する横浜に敗れたのを最後にPL学園監督を退任する。前年の夏を最後に勇退するつもりだったが、後継者が決まらなかったために率いた最後の甲子園で新たなスターと激突した。高校野球の監督とは何ともドラマチックな稼業である〉

 昭和55年の秋にPL学園で監督になってから素晴らしい時間を過ごすことができた。野球を教えるのが大好きですから、監督をやめたのは目標を失ったからでも燃え尽きたからでもありません。20年近く監督を務めてきたので、後進に道を譲る時期がきたと感じたのです。横浜に敗れた後に選手たちが胴上げをしてくれたのですが、負けて胴上げというのも妙な感じがしましたね。

 〈史上最高の呼び声も高い手腕で甲子園を沸かせた指揮官の退任を惜しむ声もあったが、退任から20年近くが経過しても、高校野球ファンの心に刻み込まれた姿そのままに「PLの中村順司」であり続けている〉

 私はPL学園に育てられた人間です。選手として甲子園に出場し、監督としても素晴らしい経験をさせてもらいました。私が生まれ育った福岡県中間市は高倉健さん(俳優、平成26年死去)の出身地でもあります。高倉さんが漂わせるイメージのように、私もPL学園に対して筋を通したい。この先もPLの中村のままでいたいと思っています。

 〈野球への情熱は今も失われていない。11年からは母校の名古屋商科大学を率い、今年から就任した総監督としてもグラウンドに姿を見せて学生とともに汗を流している。野球を教えることが何よりも好きだという〉

 監督時代は目先の試合で結果を残そうと、主力選手を集中的に指導していました。総監督になった今は、少し先を見据えて次の主力候補となる下級生を中心に見るようにしています。もともと、私はチームをまとめていく指揮官タイプではなく、野球の技術を教える職人のようなものだと思っています。現役時代の私はできないことばかりだった。だからこそ、選手たちが努力を重ねて、課題を克服していく姿を見るのは大きな喜びです。

 これからも選手たちに「正しい野球」というものを教えていきたい。選手たちが自分の殻を破っていくのに手を貸すことが、私なりの野球界への恩返しだと思っています。(聞き手 奥山次郎)

最終更新:9月23日(金)17時5分

産経新聞

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