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亡き恩師との“会話” ロッテ・サブローが野球人生を共に過ごしてきたノート

Full-Count 9/23(金) 13:05配信

04年に永眠した高畠氏、「オレにとっての師匠であり、野球界のおじいちゃん」

 苦しんでいる時に必ず目を通してきたノートがある。それはもうボロボロになっている。ロッテのサブローは、このノートと向き合うことで亡き師匠と“会話”をしていた。師匠の名は高畠導宏。02年に千葉ロッテマリーンズの打撃コーチを務めた。04年7月1日に永眠。60歳だった。

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「オレにとっての師匠であり、野球界のおじいちゃんやな。同じ岡山県出身ということもあって、本当にいろいろと可愛がってもらった。あの人に教えてもらったことはノートにメモしてある。どうしてもアカンと思った時は当時のメモを見直していた。もちろん、そのほとんどは体に染み込んでいるけど、見直したくなる時があった」

 師匠と出会った時のサブローは打てないと、人一倍落ち込むタイプの選手だった。そんな若者の胸を叩きながら高畠コーチは言った。「そんなこと気にするな。打てないことに文句を言うヤツがいるなら、『じゃあ、オマエが打ってみろ』と言うぐらいの気持ちでいろ!」。コーチから、そのようなゲキを受けたのは初めてだった。不思議と気持ちが楽になったのを覚えている。ユニークな教え方に基づいた指導法は、多岐に渡った。どれもが新鮮で、分かりやすかった。自分が生まれ変わりつつあることを実感した。

 そんな師匠との別れは突然訪れることになる。高畠氏はマリーンズを退団し、私立筑紫台高等学校(福岡県太宰府市)で社会科の教論を務めていた。教壇に立つのは、かねてからの夢だった。サブローは夢に向かって突き進むその姿に感銘を受け、きっと多くの優秀な教え子たちを世に輩出であろうことを想像していた。そんな矢先。近い関係者から「もう長くないと思う」と告げられた。その少し前には食事を共にしていただけに簡単には信じることはできなかった。

「あの人のことを忘れたらアカン」

「食事をしたときはむちゃくちゃ元気だったから。今思うと、きっとオレに心配をかけさせたくないと無理していたのだと思う。本当は相当、しんどかったんやろうな。それなのに楽しい時間を過ごさせてもらった。そういう人だった」

 04年の夏。恩師・高畠氏はすい臓ガンで亡くなった。それ以降、サブローは遠征用バックに、師匠の笑っている写真が貼られているストラップを取り付けた。「あの人のことを忘れたらアカンという思いから」と当時のサブローは寂しげに言った。そして、それからもずっと師匠からのアドバイスを必死にメモしたノートと共に野球人生を過ごしてきた。

  師匠も、きっと天国で、どんな時も背番号「3」を見守ってくれていたはずだ。サブローは時に弱気になると「大丈夫や」と声をかけてくれたような気がした。だから、不思議と命日である7月1日にホームランを放った。思えば巨人に移籍しての初本塁打も7月1日だった。チームに合流をした東京ドームでの中日戦。8回に代打で初登場すると左翼へ本塁打。思わず、亡き師匠の優しい笑顔が浮かんだ。

 8月31日。サブローは22年間にも及んだプロ野球生活に別れを告げることを発表した。ここまで1781試合に出場。1362安打を積み重ね、127本塁打、655打点。あの日の出会いがあったからこそ、ここまで来られた。幸せな野球人生だった。

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最終更新:9/23(金) 13:39

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