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<Wコラム>「両班」を知れば韓国社会がわかる! 

WoW!Korea 9/24(土) 10:35配信

両班(ヤンバン)というのは、中世の王朝の高麗(コリョ)時代から朝鮮(チョソン)王朝まで朝鮮半島を支配した階層をさす。西洋でいえば貴族に当たる。元々は文班(行政官吏)と武班(軍事官吏)の二つの官職を一緒に呼ぶ単語だったが、これが支配階級の全体を称する言葉として適用されるようになった。

リュ・シウォンのプロフィールと写真


■名門出身のリュ・シウォン

 東洋も西洋も中世と近世の社会は階級社会だったし、日本の武士階級のように韓国では両班が支配階級として民を治めていた。この両班の中のいくつかの家門は長い期間権力の中心に立ち、屈指の名門として発展した。

 その一つが、韓流スターのリュ・シウォンの家門である豊山(プンサン)柳(ユ)氏である(豊山は始祖の出身地を表す本貫〔ポングァン〕で一族の同一性を示す象徴)。

 豊山柳氏は、現在韓国に1万4千人あまりしかいないと言われている。数は非常に少ないが、なんと高麗王朝時代から1千年以上も続いている名家だ。

 彼らの本貫である豊山は、安東(アンドン)のあたりの古い地名で、安東の有名な観光地の河回(ハフェ)村には今も豊山柳氏の人たちが歴史と伝統を守って住んでいる。実際、河回村は韓国でも有数の両班の地域だ。

 今も数百年前の家屋がそのまま残っているし、住民たちは1千年前から伝えられている伝統文化を保っている。

 それだけに、村全体が重要文化財に指定されている。


■多くの科挙合格者を輩出! 

 韓国で河回村と聞くと、誰もが伝統と両班を思い浮かべるくらい昔の情緒がそのまま保存されている。まさに河回村は、韓国の精神文化を象徴するところなのである。

 このように河回村が伝統と文化を保ってこられたのは、河回村を中心とするこの一帯の安東が昔から多くの名家を輩出したからに他ならない。彼ら名家は自分の先祖を誇りに思っていて、先祖の教えを数百年間変わりなく守っている。

 実際、高麗王朝から朝鮮王朝に至るまで、両班の中で安東を始祖の地としている名家は数えきれないほどあるが、その多くは権力を求めて他の地域にまで勢力を広げ、今は大勢の子孫を残している。

 その中の1つである豊山柳氏の一族は、朝鮮王朝の官吏任用試験である科挙に85人もの合格者を出している。まさに学問の名家でもある。

 いくら支配階級の両班とはいえ、科挙に合格しなければ官吏になれなかった当時、科挙は国家最高の権威を持つ試験だった。

 一生挑戦しても合格できなかった両班が多かったというから、その試験の難しさがわかる。

 そのように学問重視の家風を持つ豊山柳氏を代表する人物が柳成龍(リュ・ソンリョン)である。


■諸葛孔明よりも優れた人物

 柳成龍は朝鮮王朝518年の間でも中興の名宰相といわれたほどの政治家で、同時に優秀な学者だった。

 25歳で科挙に合格してから、総理大臣に当たる領議政(ヨンイジョン)にまで上った柳成龍は政治家としても有名だが、学問においても中国の学者たちから先生と呼ばれたほどの最高の知識人だった。リュ・シウォンは柳成龍の13代目の子孫に該当する。

 なお、柳成龍は、日本とも深い関わりを持っている。

 というのは、彼は1592年に豊臣秀吉軍が攻めてきたときに、総理大臣として活躍して国を守ったのである。当時、200年間戦争を知らないまま平和に暮らしていた朝鮮王朝は、戦国時代を経て最強の軍事力を持った日本になすすべもなく攻められた。そんな状況の中で柳成龍は危機に処した国を救うため、政治や外交、軍事のあらゆる面で手腕を発揮した。彼は混乱した情勢の中で対立した意見を仲裁し、知られざる人材を発掘して積極的に登用した。

 彼の師で当代最高の学者だった李退渓(イ・テゲ)は柳成龍を「天から授けられた人材」と評したし、主君である朝鮮国王の宣祖(ソンジョ)は柳成龍を諸葛孔明よりも優れた人物だと称賛した。

 このように、国の中心に立ってめざましい活躍をしていた柳成龍だが、一家の主としては優しい父で、率先垂範して家の中に読書する雰囲気を作っていた。

 最高位の公職にいた彼だが、子女たちによく手紙を出して励ましながらも、ときには叱り、ときには助言するのを忘れなかった。一国の総理大臣を務めながら、しかも戦乱の中に5人もの息子の学問にいつも気をつけるというのは普通の人では真似ができないことだろう。


■生きている両班

 柳成龍は公職者として清廉な生活をした。彼が世を去るときは、葬礼をする金さえなかったという。彼は中央の漢陽(ハニャン/今のソウル)でも、官職を務めながら自分の家がなく、借家に住んでいた。引退後も、故郷に草庵を作って余生を送った。

 これだけの人物なら、様々な誘いを受け、財物も届けられるだろう。しかし、柳成龍は乱れなかった。当時は当然とされた妾もいなかった。自分の人間性を磨き、誰にも恥じない生活を送ったのだ。

 柳成龍は戦乱という危機の中で、国と民のためにすべてをかけられる強さを持ち、同時に子女を可愛がって大事にする優しさも併せ持っていた。まさに、朝鮮王朝最高の人物だった。

 柳成龍の家門は今も続いている。

 しかし、時は流れ、時代も変わった。

 そんな中で、韓国人だったら誰もが知っている偉人を輩出した名家の家風は、今はどのようになっているのだろうか。

 古い名家だというと何となく、「田舎にこもって世間を知らないまま、頑固に昔の古い掟にしばられている」と思ってしまうが、豊山柳氏は違う。柳成龍の教えである「学問を重んじて自己修養に励む」という姿勢は今も変わりなく続いている。

 しかしながら、伝統の家門だといっても旧来の主張を繰り返す雰囲気はなく、新しいものを学んで、それを取り入れながらも根本を忘れないしなやかさを持っている。

 このような家風のもとで、豊山柳氏は過去の中の名家ではなく、現代の生きている名家として、政界や財界を含めた韓国の社会全域で活躍している。

 その中で特に知られているのがリュ・シウォンだ。名家の子孫である彼が、今もタンタラ(芸能人を見くびっていう俗語)と言われている芸能界に入ったのは、豊山柳氏の一族が変化を恐れない「生きている両班」だからであろう。


文=「ロコレ」編集部
(ロコレ提供)

最終更新:9/24(土) 10:35

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