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間寛平「さんまは恩人」「病気、借金…何とかなるさ」

東スポWeb 9/24(土) 12:08配信

「ア~メ~マ~」「かい~の」などのギャグで人気のお笑いタレント・間寛平(67)は近年、マラソンを通じて、東日本大震災の被災地との懸け橋となってきた。そんな寛平が発起人となって誕生したのがチャリティーマラソン大会「淀川寛平マラソン」。記念の第5回大会は、来年3月12日に行われる。マラソンとの関わりや、芸人仲間のみならず多くの人々から慕われている、その人柄に迫った。

 ??マラソンですっかりおなじみ

 寛平:もともとそんなにマラソンに執着してたわけではないんやけどね。当時は周りで走ってる人もそんなにいなかったし。芸能界だと、高石ともやさんだけでしたね。

 ??きっかけは

 寛平:35歳くらいの時かな。(元マラソン日本代表の)瀬古(利彦)選手の夢を見たんですよ。それで、うめだ花月の近くで(池乃)めだかちゃんと飲んでた時に「瀬古選手とデッドヒートしてる不思議な夢を2日続けて見たんや」って言うたら、めだかちゃんが「いっぺん走ってみたらどうや」って言うてくれたんですよ。それで、酒は無理やけどタバコをやめて、翌日から家の周りとかを走り始めたんです。

 ??初めて大会に出たのは

 寛平:会社にもそれが伝わって「あの寛平が?」ってなった。それで「いっぺん、市川マラソン行ってみ」と言われて、島木譲二とか連れて行ったんです。5キロを20分くらいやったかな。寝ずに朝まで飲んで二日酔いのまま走ったのに(笑い)。それから会社も「何分切ったらギャラ倍にしたる」とかあおりだして。

 ??マラソンの仕事が増えた

 寛平:「ホノルルマラソンで郷ひろみの記録抜いたら、ギャラ倍にしたる」とかね。抜いて倍にしましたよ。新喜劇の中で僕のギャラだけ上がっていったんで、釣り合い取るためにみんなのギャラも上げて。僕が全部みんなの分を上げたったようなもんですわ(笑い)。
 ??会社も困った

 寛平:どこかのマラソンで「何時間で走るからギャラ賭けへん?」って吹っかけたら「もうあかん。お前は達成するから」って言われました。

 ??目標がなくなった

 寛平:そんな時にテレビで「スパルタスロン」を見つけて、そこから長距離にハマりだしたんです。でも、最初は145キロくらいしか走れんかった。その後に東京に進出したんかな。

 ??環境が変わった

 寛平:当時のマネジャーが「寛平は芸人やのにスパルタスロンやってる」って話を持っていくんやけど、誰も知らなくて「ケガでもされたら放送どうすんの?」とか言われたみたい。そのうちテレビ局が「寛平がリタイアしたら旅番組に切り替えるから(明石家)さんまを引っ張り出してくれ」ってなってね。さんまちゃんも「ええよ」って快諾して一緒に来てくれたんやけど、200キロ手前でリタイアしちゃった。でも、それがテレビに流れて、東京の人も僕のことを知ってくれだしたんです。悔しかったんで翌年にもう一回行って完走したけどね。

 ??さんまの存在とは

 寛平:向こうは嫌がると思うんやけど、すごい助けてもろた恩人ですよ。神様がうまいこと会わせてくれたと思ってます。

 ??その後、アースマラソン挑戦中に前立腺がんが判明

 寛平:トルコで見つかって検査したんやけど、転移はしてないと分かった。でも、頑固やからゴールするまでは日本には帰れへんつもりやった。頭の中では「俺、もうヤバイな。どっか途中で死ぬかもしれん」ってのもよぎったけど走り続けとった。

 ??中断して治療に踏み切ったのは

 寛平:ゴールに向けて日本海を渡る時のために、マネジャーが横浜でヨットを修理しとったんです。そしたら、全然知らん人から「サンフランシスコに絶対に治してくれる篠原(克人氏)って医者がおる」って教えてもろた。すぐにマネジャーから電話が来て「サンフランシスコに行け」と。そのころは毎日、薬飲みながら走り続けとったけど、だいぶ弱ってきとった。飛行機で向かう時も「落ちた方がラクや」いうくらいしんどかったんで。

 ??縁とタイミングがすごい

 寛平:ホンマ、すごいと思うでしょ。僕ね、借金もいっぱいあったでしょ。

 ??確かに有名だ

 寛平:明日150万円払うとして、今、手元に1万円がない。「明日やなー」と思うんやけど「ま、ええか。明日になったら何とかなるわ」と寝ちゃうんです(笑い)。当日も怖い思いしてたら楽屋に電話かかってくるんですよ。そしたら、知り合いやって「えらい暗い声してるやないか?」「今日、追い込みでなぁ」とかやりとりするんです。

 ??どうなった

 寛平:「そんなもん心配すんな、今すぐ振り込んだるわ」ってなって「あぁ、良かった」と。信じられへんでしょうけど、そんなんがずぅーーっとなんよ。何でか知らんけど、うまいことなっていくんですよ。

 ??確かに信じがたい

 寛平:たぶん、人を裏切ってないとか、ウソをつけへんとかなんかな。貸してくれた人には、余裕をもって(確実に)返せる期日を伝えて、ちゃんと返してきた。それが信用になったんちゃうかな。そんなんがあったから、自分が一番思うのは「まぁ、何とかなるさ」てことですわ。

 ??マラソンと借金、どちらが苦しかった

 寛平:あー…借金やなぁ。精神的なもんが大きいわ。人の保証で嫁さんさらわれそうになったこともあったし。あれ、不思議やな。うまいこと言われて、どんどんだまされてやめられへんようになる。それでも人を裏切ったりはせんかった。おかげで10倍、100倍になって返ってきたんちゃう。でも、さすがにもう借金はイヤやわ(苦笑い)。

 ??とても見習えない

 寛平:やめといた方がええよ(笑い)。自殺するで。僕はこんな性格やから。

 ??競馬も好き

 寛平:若いころからずっとやってます。借金あったころもね(笑い)。最近、負けへんのですよ。絶対、勝つ方法教えましょか。

 ??ぜひ

 寛平:ちょっと僕の買い方はひきょうですけど、競馬って考えても当たらんでしょ。3番人気の馬を頭に持ってくるんですよ。2着に1番人気。で、他にチョロっと印のある馬を4点買う。そのかわり、1レースから12レースまで全部それで買ってください。途中のレースからやったら、やりません。ほんだら、1つは入って元以上取れるから。

 ??最後にひと言

 寛平:まぁ、人生何とかなりますよ。僕も全然逆らわんと身を任せてきたら、何とかなってきましたから。あと、50歳すぎたら、ちゃんと体の検査に行ってくださいね。

☆はざま・かんぺい=1949年7月20日生まれ、高知県宿毛市出身。70年に吉本興業に入社し、花紀京の付き人となる。74年に吉本新喜劇座長に昇格すると、翌年には歌手デビューも果たし、78年には光代夫人と結婚。35歳のころからマラソンを始め、ギリシャのスパルタスロンを完走するほか、ヨットとマラソンで地球一周する「アースマラソン」も完走した。被災地復興支援マラソンなど、多くのマラソンイベントに参加している。

最終更新:9/24(土) 12:08

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