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バーバリーに「振られた」三陽商会どうなる? これから投資を始める人が学ぶべきこと

ZUU online 9/24(土) 11:40配信

イギリスを代表するラグジュアリーブランド「バーバリー」。半世紀以上に渡って日本国内で「バーバリー」をライセンス販売していたのが三陽商会 <8011>でしたが、昨年2015年6月末で契約が打ち切られ、同社はいきなり赤字に転落しています。

三陽商会がなぜこうなったのか、一連の出来事の間、株価はどのような動きをしたか。そして投資をこれから始めようとしている人はここから何を学ぶべきか。あらためて解説したいと思います。

また、過去、クリスチャン・ディオールと契約が打ち切られた「カネボウ」の例も挙げて、どうなったのかも見てみましょう。

■バーバリーとともに歩み、バーバリーで上場した

三陽商会は、バーバリーとともに歩み、バーバリーで上場したと言っても過言ではありません。

1943年に「サンヨーレインコート」としてスタート、65年に英国のラグジュアリー・ブランドであるバーバリーの輸入を開始、その後独占契約でライセンス販売を始めます。

バーバリーの高品質コートを日本に広め、71年には東証2部上場、77年には東証1部に昇格しています。

■「ブルーレーベル」独自に生み出す

バーバリーはコートやスーツなどの重衣料が中心だったので、バブル崩壊後には伸び悩みました。

そこで、三陽商会は独自の商品企画で、1996年に若い女性向けのバーバリー・ブルーレーベルを、98年には若者向けのバーバリー・ブラックレーベルを立ち上げました。

ブルーレーベルは、人気歌手の安室奈美恵さんが愛用したことから大ブレイク。両ブランドは三陽商会の新たな収益源となり、世界のバーバリーの売上増にも貢献しました。

■蜜月関係に変化が出始める

ただ、そのうち、バーバリー社との蜜月関係に変化が出始めていました。

2009年にバーバリーは日本に初の直営店を出しました。世界的なアパレルメーカーにとって日本は重要な市場であり、戦略的な出店でした。

バーバリーの13年時点のアニュアルレポートによると世界のライセンス収入に占める日本の比率は60%に達していましたが、売上全体に占めるその比率はわずか3%。バーバリーはグローバルで拡大するために日本の直営化に踏み切ったのです。

その当時から、いずれは、バーバリーと三陽商会のライセンス契約は打ち切られるだろうという見方が拡がっていました。

■09年からあった「考える時間」

が、問題はここから先です。09年以降、決算説明会のたびに記者やアナリストが心配して投げかけるバーバリー社との契約解消、バーバリーブランドのライセンス終了についての問いかけに対しては、その都度「現在交渉継続中」という意味の答えが返されていました。 今考えると「アフター・バーバリー」を考えるには十分な時間があったとも言えます。

そしてついに14年5月、15年6月をもって契約が終了することが発表されたのです。

バーバリーブランドはもちろん、三陽商会が開発したブルーレーベル、ブラックレーベルについてもバーバリーの名前を使えないことになりました。

■ライセンス終了発表後、「駆け込み特需」で最高益

ライセンス契約の終了を発表後、三陽商会の株価は急落しました。4月1日に年初来高値の310円をつけていましたが、発表後の5月23日には年初来安値の210円にまで下落。2ヶ月弱で32%の下落でした。

ところが、契約切れ前にバーバリーが「駆け込み特需」で売れたことで同社の14年12月期は市場の予想に反して史上最高益になりました。16年上期も特需で好業績は続きました。株価は切り返し、15年8月には457円の戻り高値をつけました。

■契約終了後は想定を上回るペースで業績が悪化

ただ、2015年6月末の契約終了後、想定を上回るペースで会社の業績は悪化します。

下期には赤字転落したことが明らかになるにつれ株価は下落の一途となり、16年8月には147円の安値を付け、昨年8月の半値以下。下落率は68%に達しました。

■「ポスト・バーバリー」3本柱を立てたけれど

会社はバーバリーの売上の比率などを開示していませんでした。ただ英バーバリーのライセンス収入から推定すると、バーバリーは三陽商会の売上の半分以上、利益の大半を占めていると見られていました。

最大の商品の契約切れという会社の存続の危機に際し、三陽商会は、バーバリーにかわるコートブランドとして英マッキントッシュに注力し、マッキントッシュとポール・スチュワート、エポカを3本柱に据え、オリジナルブランドを開発し、ブルレーベル・ブラックレーベルについてもバーバリーの冠をはずして継続するといった中期経営計画を開始しました。

マッキントッシュ フィロソフィー @MP_PR→http://bit.ly/1TvYFNL

■バーバリーの影響は予想以上に厳しかった

しかし、バーバリーの影響は予想以上に厳しいものでした。

バーバリーの契約最後となる2015年上期(1~6月)の売上は553億円(前年同期比3.9%増)、最終利益は50億円(同60%増)だったものが、契約切れ後の15年下期(7~12月)の売上は420億円(同27.1%減)、最終利益は24億円の赤字(赤字転落)へと急落しています。

16年7月29日発表の今年の上半期業績も、売上341億円(同38.3%減)、最終利益▲57億円(赤字拡大)と回復どころか減速は加速しています。会社は16年12月通期の売り上げを770億円から700億円(28.1%減)に、最終利益は3億円の黒字から▲95億円の赤字へと下方修正しました。

最大の原因は昨年6月にバーバリーとの契約が終了し、その後継ブランドとして投入した「マッキントッシュ ロンドン」「ブルーレーベル・クレストブリッジ」「ブラックレーベル・クレストブリッジ」の販売が計画を大きく下回ったことでした。

BlueBlackCrestbridge @blueblackcb
詳細はこちらからチェック!http://goo.gl/ekim7w

■過去、メインブランドと契約が切れたカネボウは?

同じようにメインブランドの契約切れという問題に過去に直面した会社にカネボウがあります。

カネボウは1964年にクリスチャン・ディオールとの独占契約を結びました。ちょうど三陽商会がバーバリーと契約を始めた頃です。

しかし、89年にディオールを親会社としたLVMH(モエ・ヘネシー&ルイ・ヴィトン)社がライセンスを絞る方針を進め、97年2月7日にカネボウはディオールから契約を同年4月30日に解消すると告げられ、33年続いた関係が猶予期間もないまま、ほぼ一方的に解消されます。ご存知のようにクリスチャン・ディオールはラグジュアリー・ブランドとしてその後も日本で君臨しています。

ディオールと別れたことだけが原因ではありませんが、カネボウはバブル崩壊後、繊維、衣料品等の赤字を化粧品部門で埋めざるを得なくなり、粉飾決算に走ったことで、2005年に上場廃止になりました。

■正念場を迎える三陽商会

カネボウの例に象徴されるように、メインブランドが無くなることの影響はかなり厳しいのです。三陽商会も苦境に立たされていると言ってもいいでしょう。

三陽商会は通期業績の下方修正とともに、リストラも発表しました。全社員の2割弱に達する250人の希望退職者の募集、「プリングル1815」「ビアンカ・エポカ」など計8ブランドを休廃止、全体の1割強に当たる190の売り場の閉鎖などです。

15年12月末時点での、大株主をみると筆頭株主はヘッジファンドのオアシスインベストメンツが852万株(発行済み株数の6.7%)を所有しています。そのほかには、三菱商事が446万株(同3.5%)、三越伊勢丹が416万株(同3.2%)、三菱東京UFJ銀行が360万株(同2.8%)を保有しています。今後、オアシスの株や三菱グループ、三越伊勢丹の株などをめぐってM&Aの話が出てくることも十分に考えられる状況でしょう。

■ライセンスの比率、一商品比率の高い会社のリスク

1998年に契約が解消されたデサントとアディダスの例も象徴的です。

この時も、28年間という蜜月関係があったにもかかわらず、アディダスからデサントにほぼ一方的な契約解消話が進められました。当時、デサントの売上高の約4割がアディダス事業とされており、その後デサントがアディダスとの提携解消前の収益水準を回復できたのはつい最近。15年近い歳月を要しました。

■外資系ブランドはいきなり「独り立ち」する

日本企業により育てられた外資系ブランドは、その力が大きくなるといきなり独り立ちを宣言することが多いのです。

それゆえに、外資系ブランドとのライセンス契約を結んでいる日本企業は、常に契約解消の危険をはらんでいることを感じながら、その契約を継続していくことが求められているのです。

企業の有価証券報告書をみると、一つの商品や一つのブランドのウェイトが高い会社については会社の存続に関するリスクとして開示していることが多くなっています。会社のリスクは常に意識しながら投資をすることが大切でしょう。

平田 和生
慶応大卒業後、証券会社の国際部で日本株の小型株アナリスト、デリバティブトレーダー。ロンドン駐在後、外資系証券に転籍。日本株トップセールストレーダーとして活躍。現在は主に個人向けに資産運用を助言。

(提供:DAILY ANDS)

最終更新:9/24(土) 11:40

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北朝鮮での幼少時代、『ここは地球上最高の国』と信じていたイ・ヒョンソだったが、90年代の大飢饉に接してその考えに疑問を抱き始める。14歳で脱北、その後中国で素性を隠しながらの生活が始まる。 これは、必死で毎日を生き延びてきた彼女の悲惨な日々とその先に見えた希望の物語。そして、北朝鮮から遠く離れても、なお常に危険に脅かされ続ける同朋達への力強いメッセージが込められている。