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男気あふれる広島・重松良典球団常務が一人で流した涙

東スポWeb 9/25(日) 10:22配信

【越智正典「ネット裏」】名代表、西野襄の勇退後、東洋工業の経理課長からカープの代表に就任(球団常務)した重松良典は仕事には痛烈であったが情の人でもあった。サッカーの日本リーグ時代の役員を務めていたので勝負がわかる。勿論視野も広かった。就任の連盟手続きがすんだのは1974年1月8日である。

 日南キャンプが始まると見に来た町の人々は「“やっこ凧”さん、今日もグラウンドに立っていなさる」。ご苦労さまですと、敬愛の念をこめて拝むように言っていた。重松が少し怒り肩なので“やっこ凧”さんと呼んでいた。

 重松は来季から監督含みでジョー・ルーツをコーチに据えた。重松はまた、ひそかにプロ野球の名将三原脩(このとき日本ハム球団社長)に会い、野球を学んだ。職員の給与をよくし、そのかわりハッスル勤務。うぐいす嬢は朝はやく市民球場2階の球団直営食堂に出勤。清掃、開店準備。カープの練習開始時間がくるまでレジで働いた。三篠町の合宿所の賄いさんには「予算のことを考えないで選手においしいものをどんどん食べさせて下さい」。チームを強くするために、彼は自宅を抵当に入れてカネを借りた。当時銀行筋から聞いた。

 こうして75年が来る。ルーツを監督に。ルーツはゲイル・ホプキンスとリッチ・シェインブラム(シェーン)を連れてくる。ホプキンスは医学生だったが、医学部が名門のボルチモアのジョンズ・ホプキンス大学に進む学費を稼ぎたかった。ルーツはその向上心を評価した。来日後、ロッカールームでも医学書を読んでいた。

 シェーンは傷だらけになっても戦う筈だが一塁手が最適。そこで衣笠祥雄を三塁手に。が、ルーツは開幕から15試合目の阪神戦で責任審判竹元勝雄を突き退場。帰国した。後任に古葉竹識。あっという間に前半が終わり、その75年の甲子園球場での球宴第1戦を前に、重松は山本浩二、衣笠に「セのベンチの第1列、ど真ん中に座れ! 座ったら小遣い10万円!」。王貞治、若松勉、藤田平、江夏豊のなかに入っても堂々とせいというのだった。2人は連続2打席ホームラン。小遣い2倍弾。

 こうして75年10月15日、後楽園球場での巨人戦、カープ1対0の9回二死一、二塁。ホプキンスの一打がライトスタンド上空に。勝負あった。広島の宿舎はJR両国駅前ホテル。ビールかけはそう広くないロビーで。始まる前に心配した巨人関係者がそっと訪れた。広島の職員がビールかけの注意事項を訊いた。

「ビールが直接かかると寒いですよ。いいところで切り上げて風呂に入ったらいいですよ」

 ナインの多くは銀座に繰り出さなかった。隅田川をさかのぼって向島と浅草へ。重松はホテルの自室にいた。水割りをしみじみと味わっていた。ポトリ…。15秒くらいの間隔で涙が落ちた。涙はものいわぬ彼の苦闘へのトロフィーだった。

 =敬称略=

 (スポーツジャーナリスト)

最終更新:9/25(日) 10:22

東スポWeb