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<豪栄道初優勝>14戦全勝、千秋楽待たず 史上4番目の遅さで制覇

埼玉新聞 9/25(日) 10:30配信

 大相撲秋場所14日目は24日、東京都墨田区の両国国技館で行われ、埼玉県の埼玉栄高出身の東大関豪栄道(30)=本名・沢井豪太郎、大阪府出身、境川部屋=が14戦全勝とし、千秋楽を待たずに初優勝を決めた。豪栄道は平幕玉鷲を下し、平幕遠藤との2差を保った。日本人力士の優勝は1月の初場所を制した大関琴奨菊以来、4場所ぶり。11月に行われる一年納めの九州場所(福岡国際センター)では、横綱昇進に挑む。

 豪栄道関は2002年にさいたま市西区の埼玉栄高に入学。山田直道監督が率いる名門相撲部で稽古に励んだ。1年時から頭角をあらわし、全国高校総体(インターハイ)や国体に出場。04年の高校総体で高校横綱に輝いた。同年10月の埼玉国体では個人戦2連覇を達成し、団体戦3連覇に貢献した。

 04年12月、高校3年時で境川部屋に入門。05年1月の初場所で初土俵を踏み、14年名古屋場所後に大関に昇進した。これまでに殊勲賞5回、敢闘賞3回、技能賞3回。金星は1個。右四つを得意とする。

 豪栄道関は母校・埼玉栄高校での激励会に出席した際には、本紙の取材に対し、「山田監督と出会っていなければ、相撲を続けていたか分からない。先生の指導が礎になっている」と話していた。

 高校時代に印象に残っている試合は「1年のときのインターハイ。中学まで団体に関心がなかったが、先輩たちが泣きながら抱き合う姿を見て感動した記憶がある」と語っていた。

 4度目のかど番だった今場所は前に出る相撲で白星を重ね、7日目で単独首位に立ち、13日目に横綱日馬富士を破って逃げ切った。

 新入幕から所要54場所での初制覇は史上4番目の遅さ。

■「みんなで喜び泣いた」

 「正々堂々と大和魂を貫いて築き上げた14連勝。我慢して下から右を差し込む、今場所はそれが一番よかった」―。豪栄道関が青春時代を過ごしたさいたま市西区の埼玉栄高相撲部の山田道紀監督は「うちはみんな兄弟。みんなで喜び泣いた」と、まな弟子の快挙に感極まった。

 学校に程近い相撲部の寮で部員たちと食卓を囲んでテレビ中継を見守った。「きょうはカレー。手作りにこだわっていて、よそには負けない」。豪栄道関も山田監督と妻・早苗さんが作る食事を食べて強くなった。「豪太郎は炊き込みご飯が好きで、今も食べにくる。中学3年の夏に75キロしかなかった少年が埼玉に来て夢をかなえた」と教え子との思い出を振り返る。

 高校3年時には「すでに幕内ぐらいの力があった」と山田監督。2004年8月の全国高校総体で高校横綱のタイトルを獲得。同年10月の埼玉国体では個人戦2連覇を達成し、団体3連覇に貢献した。

 高校卒業後の進路について、本人は当初、大学進学を口にしていたが、「プロ(大相撲)に行きたかったのだろう」と山田監督が本心に気付き、監督の日大時代の先輩・境川豪章さんが親方を務める境川部屋への入門を勧めて各界入り。05年の1月場所で初土俵を踏んだ。

 06年の十両昇進時に本名の「沢井」から四股名を「豪栄道」に改めた。「豪」は本名の豪太郎と境川豪章親方の名前から、「栄」は埼玉栄高から、「道」は恩師の山田監督の道紀の名前から取った。「力強く栄え、相撲道に精進する」との決意を込めたという。

 大関昇進後は今場所を含めて4度のかど番を経験し、けがに苦しんだ時期も多かった。山田監督はそのたびに「正々堂々と戦って落ちたらそれでいいじゃないか」と励まし、まな弟子が逆境を乗り越える姿を裏方から支え続けた。悲願の初優勝に「よかったな、おめでとうと声を掛けたい。彼もほっとしたと思う」と満面の笑みを浮かべる。

 綱とりが懸かる11月の九州場所へ、「行けるとすれば来場所。勢いそのままに頑張ってほしい」とエールを送った。

■多くの県民に感動/上田清司知事の話

 幕内最高優勝おめでとうございます。先場所までの逆境を見事にはね返し、苦しみながらもついにつかんだ初の栄冠は、多くの県民に感動を与えてくれました。本当にありがとう。近い将来、久々に日本人横綱として、埼玉栄高校出身である横綱豪栄道関が誕生することを心から期待しています。

最終更新:9/25(日) 10:30

埼玉新聞