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名工の扁額、焼失免れ現存 泉野菅原神社、加賀藩の武田友月制作

北國新聞社 9/25(日) 3:14配信

 加賀藩2代藩主前田利長の正室永姫(玉泉院)ゆかりの泉野菅原神社(野町3丁目)で、成巽閣(せいそんかく)の欄間を手掛けた藩お抱えの木彫師、武田友月(ゆうげつ)が制作した177年前の扁額(へんがく)が見つかった。神社は明治、平成と2度にわたり火災に見舞われたが、名工の扁額(へんがく)は焼失を免れていた。神社は25日に営む「信長公祭」で地元住民にお披露目する。

 神社の責任役員が今月20日、拝殿の裏側にある倉庫で見つけた。県立歴史博物館の北春千代学芸主幹に鑑定を依頼し、友月の作品であることが分かった。

 扁額は縦108センチ、横63センチ、厚さ6センチで、表に「天満宮」と刻まれている。裏側に「天保十己亥年九月十一日 納之武田秀平」と墨書され、友月の通称である「秀平」の名が確認された。1839(天保10)年に納められたとみられる。

 「天満宮」の文字は丸みを帯びた書体で、額の裏側に藩政期の書家成田長孝を指す「菅家筆法二十六世」の文字が刻まれている。友月は長孝の書を額に仕上げたと推察される。

 泉野菅原神社は1871(明治4)年の大火で焼失後、社殿を再建したが2000(平成12)年にも火災に遭った。12年3月に現在の拝殿が再建された。

 北学芸主幹は「友月が扁額を作っていたことは知られておらず、加賀藩の名工の仕事を知る貴重な史料だ」と指摘した。

 倉庫には1828(文政11)年に作られたとみられる扁額と、黒く焦げた扁額も見つかった。責任役員の加茂正則さん(80)は「県文化財保存修復工房で修復できないか他の責任役員と相談し、地元の宝として大切に保管したい」と話した。

 ●武田友月 名前は信興(のぶおき)、通称は秀平。木彫師の号として「友月」と称した。姫路藩士の子で京都にいたが、加賀藩老臣前田直方に見いだされ、1818(文政元)年に加賀藩細工所の小頭並になった。木彫に優れた手腕を発揮し、獅子頭などを残した。卯辰山に築かれた加賀藩営の春日山窯の衰退を惜しみ、窯の復活を願って「民山窯」を興し、陶号を「民山」と称した。

北國新聞社

最終更新:9/25(日) 3:14

北國新聞社

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