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国家暴力が奪った「生命と平和の働き手」

ハンギョレ新聞 9/26(月) 7:13配信

大学生の時、民主化運動で退学、拷問受け 出所後に帰郷、農民運動に献身 民衆総決起大会に参加し「米価安定」を要求 警察の放水銃に撃たれ脳内出血で重態に

 「生命と平和の働き手」と呼ばれた彼の熱い心臓が、ついに冷たくなった。

 昨年11月、民衆総決起集会に参加して冷たい放水銃の直撃を受けて倒れ、ソウル大学病院の集中治療室に入院した農民ペク・ナムギ氏(69)は、23日に状態が急激に悪化した。腎臓機能の弱化で薬品治療も不可能になり、週末を越すことは難しいという医療スタッフの意見で、家族と知人がペク氏の病床に急きょ集まった。7月にも同様な症状を見せたが、乗り越えたことを思い出しながら、家族たちはかすかな希望を捨てなかった。結局ペク氏は25日午後1時58分頃に亡くなった。前日は自身の誕生日だった。娘のトラジ氏は自身のツイッターに「相変らず警察が葬儀場を取り囲んでいるけれど、冥福を祈って下さったすべての方に感謝を申し上げると共に、父をきれいな姿で送る準備をします。必ず勝ちます」と書いた。

 彼は1947年に先祖が9代にわたって暮らした全羅南道宝城郡(ポソングン)熊峙面(ウンチミョン)プチュン村で生まれた。1968年中央大行政学科に入学し、朴正煕(パクジョンヒ)政権の3選改憲や維新などの独裁政治に対抗する民主化運動で、2回除籍された。朴正煕元大統領が襲撃された10・26事態以降にようやく訪れた「ソウルの春」で、ペクさんは1980年に大学に復学し、再び民主化運動に飛び込んだ。だが、クーデターで執権した全斗煥(チョンドゥファン)政権の戒厳布告令違反で逮捕され、粉唐辛子液を鼻に注入されるなどの拷問を受けた。懲役3年の刑を宣告され、中央大からは退学処分にあった。

 1981年の三一節特赦で仮釈放された直後、パク・ギョンスクさん(63)と結婚し、新婚生活を送っていたところは、先祖が代々暮らしてきたプチュン村だった。「イムマヌエル」(神は私たちとともにおられる)という自身のカトリック洗礼名のように、低いところに臨んだイエスの精神に倣うためだったのだろうか。急速な経済成長をむかえて若者は都市に向かう時代だったが、彼は正反対の道を選んだ。彼は全国を歩き回って求めた韓国麦の種子を育て、宝城郡の「韓国麦1号農民」になった。1994年には韓国麦興し運動光州(クァンジュ)・全羅南道本部を共に作って、共同議長に選出された。二人の娘の名前はトラジ(桔梗、35)とミンジュファ(民主花、30)、息子はトゥサン(斗山、33)と名付けた。家で飼っている犬の名前はオイサム(盧武鉉元大統領は2009年5月23日に逝去した)とパリルパル(金大中元大統領の逝去日2009年8月18日)だった。1992年、カトリック農民会の副会長になり、当時それまでの生存権闘争の代わりに、平和・生命・共同体運動をリードした彼を、長年の同僚は「生命と平和の働き手」と呼んだ。

 昨年11月14日、彼は自宅で朝食をとってから、農民120人余りと共に上京し、「民衆総決起」集会に参加した。朴槿恵(パククネ)大統領が公約した米価安定を守ることを要求するためだった。朴大統領は80キロ当たりの米価の21万ウォン(約1万9千円)台の保障を約束したが、2013年に17万ウォン(約1万6千円)だった米価は、当時15万ウォン(約1万3千円)に暴落した状況だった。

 彼はこの日のデモで午後7時頃、鍾路(チョンノ)区庁前交差点で警察の車壁に近付いて、警察が発射した放水銃に撃たれて倒れ、頭をアスファルトの路面に強く打ち付けた。脳内出血で病院に運ばれ、4時間のおよぶ手術に加えて脳手術を受けたが、意識を回復できず、集中治療室で人工呼吸器に依存して生命を維持してきた。

 彼が倒れた直後から、家族とカトリック農民会を中心に「生命と平和の働き手、農民ペク・ナムギ氏の快癒と国家暴力糾弾汎国民対策委員会」が作られ、真相究明と責任者の処罰を要求してきた。昨年11月18日にはカン・シンミョン前警察庁長官とク・ウンス前ソウル地方警察庁長官など7人を殺人未遂の疑いで告発した。今年3月には、国とカン前庁長を対象に2億4000万ウォン(約2200万円)の損害賠償請求訴訟も提起した。12日、野党3党の要求で国会安全行政委員会で聴聞会が開かれたが、カン前庁長は当時の放水措置は適切だったとして、「人が負傷したり死亡したからと無条件に謝ることは適切でない」と述べ、法的責任を認めなかった。

 農民ペク・ナムギ氏が暮らしたプチュン村の住民たちは、秋の収穫の最中に飛び込んだ悲報に痛恨の声を漏らした。ペク氏と幼い時からの友人だった同年輩のソン・ヨンファン氏(69)の夫人イ・ミジャさん(62)は「本当に無念で胸が痛む」と話した。全国農民会光州全羅南道連盟は、市・郡別に焼香所を設置することにし、幹部は対策を議論するためにソウルに向かった。

 ペク氏が昨年11月、生涯最後に手で撒いた韓国麦は、今年6月ペク氏の後輩と妻のパクさんが収穫した。ペク氏が倒れる前の収穫量は40キロ袋で50~60個だったが、今度は32.5袋に終わった。家族たちはこの日、収穫した小麦に「ペク・ナムギ小麦」という名前を付けて、種子を普及することにした。来秋、家族たちは「ペク・ナムギ小麦」の種子を彼の畑に再び撒く予定だ。

キム・ジフン、パク・イムグン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

最終更新:9/26(月) 7:13

ハンギョレ新聞

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