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[インタビュー]「朝鮮の天と地、風とその中で聞こえる人の声が作った映画」

ハンギョレ新聞 9/27(火) 7:14配信

東学農民革命ドキュメンタリー映画を作った前田憲二監督 申相玉監督との「遺跡踏査」が縁 2006年を製作を決意、10年ぶりに完成 今日DMZ映画祭で特別招請上映

「今、122年前の戦争状況を再演 
民衆の戦争反対認識が重要」 
来月には東京など日本全国での公開が目標

 「韓国人もできなかったことを、日本人が困難を乗り越えてやり遂げたのがとてもうれしい。拍手を送りましょう」。24日午後、ソウル仁寺洞(インサドン)のあるレストランで開かれたドキュメンタリー映画『東学農民革命-唐辛子とライフル銃』の製作完成支援会で、ハン・スンホン弁護士(元監査院長)が呼びかけた。続いて前田憲二監督(81)に暖かい拍手が送られた。

 このドキュメンタリーは、DMZ国際ドキュメンタリー映画祭特別招請作に選ばれ、25日に続き27日に京畿道高陽市(コヤンシ)の「メガボックス白石(ペクソク)」で上映される。25日、高陽白石駅周辺のDMZスクエアで監督に会った。

 監督は東学の創始者の崔濟愚(チェ・ジェウ)と東学農民軍の痕跡を追って韓国全土を回った。農民軍の子孫の悲痛な肉声を通じて、当時の日本軍がどれほど残忍で体系的に農民軍を虐殺したかが示される。この蜂起に、なぜ革命という名前がつかなければならないのかも、専攻学者の詳細な解説を通じて説明される。

 「この映画は私が作ったのではなく、朝鮮の天と地、風とその中で聞こえる人の声が作ったものです」

 3年前の製作発表会で、監督は日本が起こした清日戦争と露日戦争、そして朝鮮の植民支配、太平洋戦争の根元には東学革命が位置していると明らかにした。当時、朝鮮の農民を殺戮した「暴力的思想」が太平洋戦争まで続いたということだ。

 監督は川上操六(1848~99)の話で切り出した。東学革命当時、日本の広島大本営の兵たん総監で「朝鮮農民軍を全部殺せ」と指示した人物だ。「東京に住んでいる川上の子孫に会って、先祖がしたことを知っているか尋ねようとしました。だが(インタビューを)断られました。防衛庁を訪ねて川上の指示文書を目で確認したが、写真や動画撮影は許可されませんでした」。監督は日本の朝鮮侵略段階で軍事的実務責任を引き受けた川上について、韓国の知識人もほとんど知らないとしながら「(その無関心に対する)責任を感じなければならない」と指摘した。

 当初、映画の仮題は「東学農民革命-柿の木の下で」だった。「柿の木の下で」が「唐辛子とライフル銃」に変わった。古阜蜂起の時、井邑(チョンウプ)のマルモク市場にあった柿の木は、農民軍の会合と休息の空間だった。全羅南道珍島郡(チンドグン)下鳥島で会った唐辛子農民の印象的な証言を聞いて題名を修正したという。「(官軍と日本軍に追われた)農民軍が、珍島を経て周辺の島に逃げて身を守ります。下鳥島で会った朴氏の姓を持つ農民軍の子孫は、差別が恐くて子孫であることを隠して暮らしてきたといいます」。この証言者は近所から「こん棒の朴さん」とささやかれもしたと明らかにした。

 「今日本で122年前の状況が再演されているという気がします。このドキュメンタリーが日本全国で上映されればうれしいです」。まず来月10日と11日に東京の韓国YMCAで5回上映される。「日本の小中高教科書では東学を全く扱っていません。この映画は日本人が戦争の残酷さに対して考え直す機会になるでしょう」

 当初、東学120年になる一昨年に映画を完成しようとしたが、2年も遅れた。製作費の問題が大きかった。「製作費1330万円のうち、韓国側の後援会の人々の支援で1200万円を受けました。(資金が足りなくて)800万円の価値がある愛蔵品の朝鮮陶磁器を35万円で売らなければなりませんでした。借金もしました」。韓国の後援者はダウムのカカオストーリーファンディングを通じて3390万ウォン(1549人参加)を集めもした。

 計画した北朝鮮での撮影は実現できなかった。「(敗退した)農民軍が大挙して北に逃げて身を守ります。その子孫の取材のために総連側の高位人物に協力を要請しましたが拒絶されました」。ドキュメンタリーの上映要請も、民団にも総連にもそろって断られたと話した。「日本政府に反対する活動をすることが難しくてそうしたのでしょう」。

 彼が東学ドキュメンタリーを作ろうとしたのは、申相玉(シンサンオク、1926~2006)監督との縁がきっかけだ。「2001年に申監督と多くの東学遺跡を現地調査しました。申監督が400億ウォンを集めて東学の劇映画を作ろうとしたが、製作費を集めることができませんでした」。彼は申監督が亡くなった後に3000万円の予算でドキュメンタリー映画を自ら作ることを決心した。

 前田監督は京都で生まれ、幼時を大阪で過ごした。「小学3~4年の時、幼年兵として戦争に参加しました。人が死んでいくのを無数に見ました。戦争末期には池で兄と水泳していて米軍戦闘機の攻撃を受け死にそうになりました。当時、いたずらをするように子供に向けて銃を撃つ米軍の記憶が今も鮮明に残っています」。

 戦争の可能性を尋ねると、このように答えた。「今は戦争に入る準備をしている段階と似ています。一種のプロローグでしょう。(戦争が起こる時期が)10年後か50年後かはわかりません。今は核戦争時代です。大きな戦争は起きないと思いますが、それでも不安は感じます」。戦争を防止するためには「民衆が戦争反対の意見を持つことが重要だ」と話した。そしてそう考える民衆の数を増やすことが特に大切で、自身の映画もそのための努力の一つだと話した。

 ドキュメンタリーの導入部で、ハン弁護士が金大中(キムデジュン)元大統領の墓に参拝する場面が出てくる。「この映画が強く意図するのは民主化です。韓国ももう一度民主化しなければならないと思います。ハン先生の”抗議”にもかかわらず参拝場面を抜かなかった理由です」。

 彼は2000年に日本軍慰安婦と強制徴用者の証言に基づいてドキュメンタリー『百萬人の身世打令(節)』を製作し、韓国政府から王冠文化勲章を受け、2009年には壬辰倭乱を扱ったドキュメンタリー『月下の侵略者』を撮った。

カン・ソンマン先任記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

最終更新:9/27(火) 7:14

ハンギョレ新聞

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核融合こそ未来のエネルギー問題への答えであり、子どもにだって世界は変えられる、テイラー・ウィルソンはそう信じています。そして彼はそのどちらにも取り組んでいます。14歳の時に家のガレージで核融合炉を作り、17歳となった今、直前の依頼に応えてTEDのステージで自分の物語を(手短に)語っています。