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思い立ってカフェをオープン? シャッター通りに生まれた変化とは。/宮城

Webマガジン コロカル 9/27(火) 13:27配信

リノベのススメ

コロカル・Web連載【リノベのススメ】とは?
地方都市には数多く、使われなくなった家や店があって、そうした建物をカスタマイズして、なにかを始める人々がいます。4つの都市から週替わりでお届けする、リノベーションの可能性。今回は、東日本大震災を契機に、地域のリソースを丁寧に拾い上げジャンルに縛られない多種多様なプロジェクトを実現している〈ISHINOMAKI 2.0〉による〈リノベのススメ〉。

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今回は、石巻の中心市街地にある路地、富貴丁通りで地元食材を使ったレストラン〈日和キッチン〉を営む建築家の天野美紀さんが担当します。

富貴丁通りはかつてセレクトショップが建ち並ぶ石巻で一番のファッションストリートでした。いつしか閉店するお店も増え寂しい通りになっていましたが、震災を契機に東京から石巻に通うようになった天野さんが築100年ほどの木造の店舗を改修したころから、まわりにも店舗が増え始め、少しずつ活気が戻ってきています。小さな変化を重ねながら路地が活気づき始めている富貴丁通りの魅力を伝えてもらいます。


■震災を機に通い始めた石巻で出会ったのは

2013年4月、宮城県石巻の駅前に 築100年の長屋をリノベーションした石巻のおウチごはんとジビエ料理のレストラン〈日和キッチン〉をオープンしました。東日本大震災が起こった年、2011年の5月、自分の職能を生かして建築分野で何か役に立てればと、知人の建築家の誘いをきっかけに初めて石巻に入りました。多い時には月2回のペースで夜行バスで通い、まちづくり活動やイベント開催のお手伝いを続けていましたが、そのなかで石巻の人の温かさ、食の豊かさに触れ、どこをどう転がったものか、自分でもまったく想像していなかった飲食店を営むことになったのです。

石巻に通い始めた2011年5月当初、北上川沿いの元旅館で、現在、仕出し割烹料理屋〈松竹〉の座敷に寝泊まりをさせていただきました。まだ物資が少ないなか、おかみさんが朝ごはんを用意してくださり、涙がでるほどありがたかった記憶があります。

しかし川沿いで津波の被害も大きかったことから、旅館だった建物を半分解体することとなり、その後しばらくはホテルを転々としながら、夜行バスで石巻へ通うことになりました。

当時、手頃な夜行バスを使って石巻と東京を行き来する人は多かったけれど、私の悩みは、石巻駅に着いてから。

東京を深夜23時ごろに出発すると、石巻へは早朝6:30頃には着いてしまいます。しかしその時間、駅近くで開いているお店はコンビニのみ。季節がよければ、コンビニで朝ごはんを買って、散歩がてらまちを歩いて、目的地やお店が開くまでなんとか時間をつぶすことができますが、冬時期は身を寄せるところがなく、寒いなか大きい荷物を抱えて本当に途方にくれるような状況でした。

「駅前に、荷物を下して、朝ごはんを食べて、体を休めることができる場所があったらいいのになあ。誰かやってくれないかなあ」と他力本願で願っていました。

そうこうするうちに、知り合った石巻市内の〈かめ七呉服店〉のご夫妻が「うちに泊りなさい」と声をかけてくれたのです。すばらしく面倒見がいいご夫妻で、私がお世話になったときは、すでに3人の女性に寝床を提供していました。ですので、私は四女いうことに。ちなみに今は五女までいます(笑)。

かめ七で朝ごはんをごちそうになると、石巻のおウチごはんのおいしさに驚きました。漁港があるので魚はもちろんのこと、旬の生ワカメや海苔、野菜や山菜、そしてお米もお肉もお味噌汁もお酒もすべておいしい。

石巻の人が当たり前すぎて意識していない「石巻の食の豊かさ」に気がつき、そのことを石巻内外の人に知ってほしいと思うようになりました。


■おいしい地元産の鹿肉との出合い

そして私が通い始めて1年が経った2012年春頃、東京で親しくしているカフェのメンバーが石巻を訪ねて来てくれました。彼らに石巻のまちを案内したところ、「自分たちも何か応援をしたい」と申し出てくれました。ではシェフの腕を生かして、石巻の夏のお祭り〈川開き祭り〉で屋台を出そうということに。

しかし普通の屋台を出しても意味がない。ならば、石巻で知られていない地元食材を発掘し、石巻にはない食べ方で提供してみようということになりました。

思い返せばこれが〈日和キッチン〉の起源。その時に出会ったのが猟友会の三浦信昭さんと「牡鹿半島の鹿肉」という素材です。

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最終更新:9/27(火) 13:28

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