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荻野目洋子が「六本木純情派」秘話公開「実際の六本木は知らなかった」

東スポWeb 9/29(木) 21:08配信

 バブル景気到来当時に大ヒットした名曲「六本木純情派」(1986年)の制作秘話が明らかになった。作詞した売野雅勇氏(65)と歌手の荻野目洋子(47)が29日、都内で行われた同氏の自著「砂の果実 80年代歌謡曲黄金時代 疾走の日々」の出版記念イベントで語った。

“荻野目ちゃん人気”に火をつけたのは、デビュー1年半後のシングル7枚目「ダンシング・ヒーロー」(85年)だが、その「第2弾みたいなのをやろう」と荻野目の所属事務所社長が売野氏に依頼し「六本木純情派」はできたという。

 売野氏は「下世話な言葉を使って上品に。そういうふうに作ると、人が感動しやすい」という手法が得意で、実際に大当たりした。例えば、冒頭の「雨の高速で 車を飛び出したの パーキングエリア」という歌詞に出てくる「高速」は首都高だそうで、売野氏は「今もう止めることがなかなかできないんだけれども、側道みたいなとこ(緊急停車地帯)あるじゃないですか。そこでやらしいことしてる人もいっぱいいたんですよ」と当時を振り返った。

 売野氏が歌で描いたのは「六本木の遊んでる感じで浮かれてる感じなんだけど、ちょっと六本木で遊んでる人たちのノリについていけないアタシ」だとか。「だから『見かけだおしで ごめんね』というのが効くんですよ。あそこへくるとなんかホロッとしちゃって、ちょっとほれちゃう感じがするんじゃないかなと思いますね」と語った。

 荻野目は「そこのところは上手に歌えてる」と売野氏に褒められたそうだが、それも当たり前。当時はまだ“六本木デビュー前”で、歌詞通りの純情娘だったからだ。

「当時18歳ぐらいだったんですけど、お酒も飲めないし、六本木で遊んだこともないし。仕事で連れてってもらったりはしたんですけど…。行くと曲をかけてくださったりして、なんかディスコのお店とか行っちゃうと、ノリノリでイェ~イみたいに盛り上がっちゃって。実際の六本木ってのはホントに知らなかったんです」

 六本木デビューの時期を聞かれた荻野目は「え~、いつごろ? それはあの、皆さんのご想像に(笑い)。結構でも(六本木は)悪いイメージでしたよね、当時は。なんかこう、大人の遊びのイメージがありました」。真面目な正統派アイドルのイメージが強い荻野目だけに、模範的な回答で報道陣をけむに巻いた。

最終更新:9/29(木) 21:08

東スポWeb

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