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ケガに泣いた野球人生 栗原健太が現役引退

ベースボールキング 9/30(金) 11:30配信

将来の“日本の主砲”

 楽天は29日、栗原健太の現役引退を発表した。

 プロ17年目、34歳で訪れた決断の時。男は地元・東北でユニフォームを脱ぐ。


 1999年のドラフト3位で広島に入団。日大山形高時代には甲子園にも出場し、高校通算39本塁打をマーク。その恵まれた体格とパワーで将来の主砲候補として期待された。

 しかし、プロ入り後はケガとの戦いの日々。一軍デビューを果たしたのは3年目の2002年のことだった。9月にはプロ初安打となる初本塁打を藤川球児から放つなど、華々しい第一歩を踏み出したが、そのまま一軍定着とはいかなかった。

 殻を破ったのは2006年。背番号を「5」に変更したこの年に、自己最多の101試合出場で20本塁打を記録。翌年には全144試合に出場を果たし、2008年からは移籍した新井貴浩に代わって4番も務め、自身初の100打点超えとなる103打点を記録している。

 さらに、2009年にはWBCに出場して世界一メンバーにもなった。

 当初は最終で落選し、チームを離れることとなるも、村田修一の負傷でコールアップ。アメリカ行の切符を掴み、最後は歓喜の輪に入ったのだ。

 一気にスターダムを駆け上がったわけではなかったが、地道な努力で着実にステップを踏んで行った男。しかし、この後に待ち受けていた野球人生は非常に厳しく、つらいものであった。

ケガに泣いた野球人生

 肘や腰の痛みと戦いながら、鯉の主砲を張ってきた栗原。WBCを制覇して臨んだ2009年も140試合に出場しているが、前年.332だった打率は.257まで急降下し、本塁打と打点も減少。この年以降、成績は下降の一途を辿る。

 2010年には死球で骨折し、戦線離脱。4年続いた20本塁打に届かず終わると、2011年には全144試合に出場を果たすなど復活の兆しを見せたが、古傷の肘が悲鳴を上げた。

 2012年のシーズン中に手術を行い、5月以降は全休。わずか21試合の出場に留まると、復活にかけた翌年も肘以外の度重なる故障に苦しめられ、一軍出場は24試合だけ。なお、この年の5月5日が栗原の最後の一軍出場となっている。

 2014年、2015年と2年間に渡って一軍出場なしに終わると、オフには減額制限を超えた比率の年俸提示を受ける。ここで栗原はそのオファーを蹴り、自由契約となる道を選んだ。

 栗原に目をつけていたのは楽天。かねてから関心を抱いていたという星野仙一副会長の推薦もあって入団テストを受けると、見事に合格。地元・東北で再出発を切るも、新天地でもかつての輝きを取り戻すことはできなかった。

 一軍出場もないまま、ファームでは47試合の出場で打率.188、4本塁打、15打点。つらい現実を突きつけられ、男はついに決断に至ったのだった。

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最終更新:9/30(金) 11:32

ベースボールキング